バヤルド | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1906年1月 |
死没 | 1917年6月4日 |
父 | ベイロナルド |
母 | ガリカ |
生国 | イギリス |
生産者 | Mr Fairie (Alfred W. Cox) |
馬主 | Mr Fairie (Alfred W. Cox) |
調教師 | Alec Taylor |
競走成績 | |
生涯成績 | 25戦22勝 |
獲得賞金 | 44,535ポンド |
バヤルド(Bayardo、1906年 - 1917年)はイギリスの競走馬・種牡馬。馬名は「闇の馬バヤード」に由来する[要検証 ]。孫のハイペリオンを通して大きな足跡を残した。
2歳から4歳にかけて常に一戦級で活躍した。2歳時に重賞のニューステークス(アスコット競馬場)でデビューし1馬身2分の1差で勝利。その後デューハースト・プレートまで7連勝しシーズンを終えた。
しかし、3歳になって仕上がりが遅れ一度も出走することなく2000ギニーを迎えたが、下痢気味の体調の中、ミノルの4着と敗れた。エプソムダービーでは直前を走っていたサーマーティンの落馬に巻き込まれ10着に敗れている。
その後、3歳の夏から4歳に掛けて再び連勝を積み重ねる。2連勝で臨んだエクリプスステークスで古馬の一線級を相手に快勝。二冠馬ミノルが三冠を狙って出走してきたセントレジャーステークスでも優勝しミノルは4着と敗れた。その後ドンカスターステークス、チャンピオンステークスなど11連勝し4歳のシーズンを終えた。
5歳になり2連勝の後アスコットゴールドカップで優勝した。その後1勝を追加して15連勝まで伸ばしグッドウッドカップに向かったが、36ポンド軽い3歳馬マジックにクビ差で敗れそのまま引退した。
性格は気難しく、人が何かをしようとすると先を読んでそれを妨害したりもした。桶を叩いて厩務員に飼い葉をねだるのが癖。これは「バヤルドのドラム」と呼ばれた。なおバヤルドが逃したダービーは翌年に弟レンバーグが優勝している。
引退後はマントン牧場で種牡馬として供用されたが、11歳の時早世。下半身の麻痺が原因での安楽死による。しかし死亡した1917年にゲイクルセイダーが、さらに翌年ゲインズバラがイギリスクラシック三冠馬となった。1917、1918年にはイギリスリーディングサイアーを獲得している。
バヤルドの血統(ハンプトン系 / Galopin4×2=31.25% Sterling4×4=12.50% Rataplan(Stockwell)5×5.5 Volley (Voltigeur) 5×4) | (血統表の出典) | |||
父 Bay Ronald 1893 鹿毛 |
父の父 Hampton1872 鹿毛 |
Lord Clifden | Newminster | |
The Slave | ||||
Lady Langden | Kettledrum | |||
Haricot | ||||
父の母 Black Duchess1886 黒鹿毛 |
Galliard | Galopin | ||
Mavis | ||||
Black Corrie | Sterling | |||
Wild Dayrell Mare | ||||
母 Galicia 1898 黒鹿毛 |
Galopin 1872 鹿毛 |
Vedette | Voltigeur | |
Mrs.Ridgway | ||||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | |||
Merope | ||||
母の母 Isoletta1891 鹿毛 |
Isonomy | Sterling | ||
Isola Bella | ||||
Lady Muncaster | Muncaster | |||
Blue Light F-No.10-a |