ブル・ブキャナン | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
ブル・ブキャナン ブキャナン B-2、B2 リーコン ザ・パニッシャー サム・マグロー |
本名 | バリー・ブキャナン |
ニックネーム |
粉砕隊長 世界一の握力 |
身長 | 197cm |
体重 | 140kg(全盛時) |
誕生日 | 1968年1月15日(56歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ケンタッキー州 ライアン郡エディビル |
デビュー | 1995年 |
バリー・ブキャナン(Barry Buchanan、1968年1月15日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ケンタッキー州エディビル出身。
ブル・ブキャナン(Bull Buchanan)などのリングネームで知られ、アメリカではWWE、日本では全日本プロレスやプロレスリング・ノアを主戦場に活躍した。
1995年、ジョージア州北部のインディー団体NCWでデビュー。その後、ジム・コルネットが主宰するノックスビルのSMWに参戦し、ザ・パニッシャー(The Punisher)のリングネームでコルネットのボディーガード役を務めた。同時期、SMWはWWFと提携関係にあったため、1996年のSMW閉鎖後はWWFとデベロップメント契約を結び、同じくWWFの提携団体だったメンフィスのUSWAでキャリアを積んだ。
USWAではリーコン(Recon)と名乗り、軍人ギミックの超大型ユニット "トゥルース・コミッション" に加入[1]。インテロゲーターと組んでUSWA世界タッグ王座を3回に渡って奪取した[2]。
1997年6月末より、トゥルース・コミッションとしてWWFに参戦[3]。スナイパーを加えたトリオのユニットとして、リージョン・オブ・ドゥームらと対戦するがブレイクには至らず、ブキャナンはファーム団体OVWで再調整することになった[4]。
2000年3月、ブル・ブキャナン(Bull Buchanan)の名前でビッグ・ボスマンのパートナーとしてWWFに復帰[5]。ボスマンの看守時代の仲間という設定のもと黒ずくめのSWATスタイルとなり、ボスマンと共にミスター・マクマホンの用心棒を務めた。タッグ戦線にも進出し、APAやハーディー・ボーイズとも抗争を行うが、6月に仲間割れを起こしてチームは解散[4]。
翌7月よりスティーブン・リチャーズ率いる自主検閲同盟 "RTC" のメンバーとして登場[4]。白いYシャツにネクタイ、黒いスラックス姿で試合を行い、11月6日にはザ・グッドファーザーと組んでWWFタッグ王座を獲得した[6]。2001年のRTC解散後は再び2軍に降格。その後、2002年末にB2(Bスクウェア)と名前を改めジョン・シナと共闘するも、短期間で解雇された[4]。
2003年10月より、TAKAみちのくの誘いで全日本プロレスに参戦[7]。以降、最強外国人軍団 "RO&D" のメンバーとして活動し、2005年2月2日にはリコ・コンスタンティノと組んでアジアタッグ王座を獲得した[8]。2006年のチャンピオン・カーニバルでは武藤敬司に勝利。しかし、同年9月17日のRO&Dvsブードゥー・マーダーズ "敗者チーム解散マッチ" において、ディーロ・ブラウンと共にTAKAと太陽ケアを裏切りブードゥー・マーダーズに加入した。
2007年5月、TAKAがプロレスリング・ノアでRO&Dを再結成したことに伴い、主戦場をノアに移す[9]。ブルーザー・ブロディを彷彿させるようなシャウト、フードを脱ぐとクレ-ジーに豹変するという二重人格のギミック、そして自称「世界一の握力」から放つアイアン・ボムというフィニッシュ・ムーブを手に入れてブレイク。同年10月20日にはブラウンと組んでGHCタッグ王座を獲得した[10]。
2000年代末からはSECW(サザン・エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング)など、ホームタウンのジョージアを拠点とするインディー団体に出場。2011年11月にはジョン・シナゆかりの人物としてB2名義でWWEのRAWにゲスト出演した。TAKAによれば、2013年1月の時点では長距離ドライバーを兼務しながらプロレスも継続しているとのことであった。
2014年11月23日、ジョージア州ボーデンで引退試合を行った[11]。引退後はジョージア州の副保安官を務め[11]、2019年より同州のインディー団体にゲスト出場している[12]。