バルチ (USS Balch, DD-363) はアメリカ海軍の駆逐艦。ポーター級。
艦名はジョージ・バルチ提督に因む。
ベスレヘム造船のフォアリバー造船所で建造された。1934年5月16日起工。1936年3月24日進水。1936年10月20日就役。
1942年2月1日、空母「エンタープライズ」、巡洋艦3隻および「バルチ」などからなる第8任務部隊はマーシャル諸島攻撃を行った[1]。この時は「バルチ」は重巡洋艦「チェスター」および駆逐艦「モーリー」とともにマロエラップ環礁砲撃部隊であり[2]、329発の5インチ砲弾を発射した[3]。
この後、損傷した「チェスター」が抜け、第8任務部隊は第16任務部隊と改称[4]。部隊は真珠湾に帰投後再び出撃し、2月24日にウェーク島を攻撃した[5]。この時は「バルチ」は重巡洋艦「ノーザンプトン」、「ソルトレイクシティ」、駆逐艦「モーリー」とともに艦砲射撃を行なった[6]。艦砲射撃後、「モーリー」が175トン程度の日本の哨戒艇を撃沈[7]。次いで「バルチ」も400トン程度の哨戒艇を砲撃で沈め、その乗員4名を救助して捕虜とした[8]。この日、日本側は「第七号監視艇(第五富久丸)」を失い、「第四号監視艇(第一見寳丸)」が行方不明になった[9]とされている。
以後、「バルチ」はドーリットル空襲(1942年4月18日)ミッドウェー海戦(1942年6月5日-6月7日)、ガダルカナル島上陸(1942年8月7日-30日)、アッツ島進攻(1943年5月11日-6月2日)、ワクデ島などへの上陸(1944年5月25日-28日)、ビアク島進攻(1944年5月28日-6月18日)に参加。ミッドウェー海戦では空母「ヨークタウン」の生存者545名を救助した。
1944年7月15日にニューヨークに到着し、同年8月2日から1945年5月23日までの間に5度大西洋横断船団の護衛に従事した。
また、1945年4月14日には雷撃された「Belgium」の生存者46名を救助している。
1945年10月19日、退役。翌年解体された。