バンケルト (Hr.Ms. Banckert) はオランダ海軍の駆逐艦。アドミラーレン級(ヴァン・ガレン級)。
1928年8月15日起工[1]。1929年11月14日進水[1]。1930年11月14日就役[1]。
1941年5月6日、セラム近海で「諏訪丸」に停船を命じる[2]。
太平洋戦争開戦の1941年12月8日、「バンケルト」はsapeh海峡にあった[3]。
1942年1月、シンガポールへ向かうBN9A、BM9B、DM1、BM10船団を護衛した[4]。
日本軍がバリクパパン沖に集結しているとの情報により2月3日から4日夜に重巡洋艦「ヒューストン」、軽巡洋艦「デ・ロイテル」、「マーブルヘッド」、「トロンプ」および駆逐艦7隻(「バンケルト」など)はマドゥラ島から出撃[5]。しかし、2月4日に日本軍機の攻撃(ジャワ沖海戦)を受けて引き返した[5]。
2月15日から日本軍はスマトラ南部やバンカ島に上陸。重巡洋艦「エクセター」、軽巡洋艦「デ・ロイテル」、「ジャワ」、「トロンプ」、「ホバート」、駆逐艦10隻(「バンケルト」など)が出撃し攻撃に向かった[6]。その途中で駆逐艦「ヴァン・ゲント」が座礁し、「バンケルト」はその場に残り「ヴァン・ゲント」の乗員を収容した[7]。
2月19日、再び連合国艦隊は出撃したが、「バンケルト」は座礁したため出撃できなかった[8]。出撃した艦隊はバリ島沖海戦を戦っている。
2月24日、28日に爆撃で損傷[1]。3月2日、修理が行われていた浮きドックと共にスラバヤで自沈した[1]。
その後日本軍の「第百六号哨戒艇」となるが、終戦までに修理は完了しなかった[1]。