バージェス・カンパニー(Burgess Company)はアメリカ合衆国で1910年から1918年の間、活動した航空機メーカーである。
1910年に "Burgess Company and Curtis, Inc." として、W・スターリング・バージェスとグリーリー・S・カーティスによって、マサチューセッツ州マーブルヘッドのバージェスの造船所の構内に設立された。1911年2月1日に、アメリカ合衆国におけるライト兄弟の航空機の製造のライセンスを得て、ライト兄弟の設計による航空機の製造を行った。1912年に契約に反してモデル Fのいくつかにポンツーン(浮舟)を追加した。1914年1月にライセンス契約の停止が合意された。
1914年にカーチス飛行機・発動機会社(Curtiss Aeroplane and Engine Company)との混同をさけるためにバージェス・カンパニーと改名されたが、グリーリー・S・カーティスは依然として大株主であった。バージェスが設計と飛行試験を行い、カーティスが経理と技術援助を行い、ライト兄弟のデイトン工場の工場長であったフランク・ラッセルが製造を統括した。1914年2月10日にカーチス飛行機・発動機会社に買収され、1916年末までカーチスのアメリカ海軍向けの練習機の生産をおこなったが、バージェスの名前の航空機は1918年11月8日に工場が火災にあい廃棄されるまで生産された。
軍に水上機などを納入し、アメリカ陸軍に最初に納入された牽引式の航空機はバージェス Hであった。1913年9月に信号部隊に納入された水上機はフィリピンで飛行学校の設立に用いられた。1914年12月バージェス・ライト複葉機で、空中無線通信の実験が行われた。海軍向けのCurtiss N-9の681機のライセンス生産のほかに以下の航空機を生産した。