バートン・グリーン Burton Greene | |
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バートン・グリーン | |
基本情報 | |
出生名 | Burton Garrett Greene |
生誕 | 1937年6月14日 |
出身地 | アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ |
死没 | 2021年6月28日(84歳没) |
ジャンル | ジャズ、フリー・ジャズ、アヴァンギャルド・ジャズ、クレズマー |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ピアノ |
レーベル | ESPディスク、BYG、Button-Nose、Circle、Cat、CIMP |
バートン・グリーン(Burton Greene、1937年6月14日 - 2021年6月28日)[1]は、イリノイ州シカゴで生まれたアメリカのフリー・ジャズ・ピアニストだが、ニューヨークでの仕事で最もよく知られている。彼は、アヴァンギャルド・ジャズとクレズマーの中間くらいを含む、複数のジャンルを探求した。
グリーンは1960年代にニューヨークのフリー・ジャズ・シーンで演奏し、アラン・シルヴァやマリオン・ブラウンなどのミュージシャンとギグを行った。アラン・シルヴァと共同で1963年にフリー・フォーム・インプロヴィゼーション・アンサンブルを結成した[2]。1964年にビル・ディクソンとセシル・テイラーのジャズ・コンポーザーズ・ギルドに加わり、ラシッド・アリ、アルバート・アイラー、ガトー・バルビエリ、バイアード・ランカスター、サム・リヴァース、パティ・ウォーターズなどとも共演した。この間、ESPディスクのために自身の名義で2枚のアルバムを録音した。
1969年にヨーロッパへ活動の場を移し、最初はパリへと赴いた。その後、アムステルダムに移り住み、マールテン・アルテナやウィレム・ブロイカーなどオランダのミュージシャンたちと共演した。1980年代後半、自分のグループであるKlezmokum(with ペリー・ロビンソン)、Klez-thetics、そして後のグループであるボーカリストのマレク・バラタとのKlez-Edgeで、クレズマーの伝統を探求し始めた。Klez-Edgeは、ジョン・ゾーンのツァディク・レーベルにて、アルバム『Ancestors, Mindreles, NaGila Monsters』(2008年)のレコーディングを行っている。同じくツァディク・レーベルから、ペリー・ロビンソンとのデュエットでアルバム『Two Voices in the Desert』が2009年1月にリリースされた。
1990年代半ばから、グリーンはニューヨークと東海岸にて、演奏および録音を行うようになった。この時からニューヨークを拠点とするグリーンによってパフォーマンスしたり録音されたりしたグループには、ベーシストのマーク・ドレッサーとのデュエット、トランペット奏者のロイ・キャンベル・ジュニア、ルー・グラッシ、アダム・レーンとのカルテット、ベースとドラムにエドとジョージ・シュラーが参加するトリオ(CIMPレーベルに録音)、シュラー兄弟、サックスとフルートのラス・ノラン、トランペットのポール・スモーカーとのクインテットが含まれている。20年以上にわたって執筆された彼の自伝『Memoirs of a Musical Pesty-Mystic』が、2001年に出版された(ケイデンス・ジャズ・ブックス刊)。
グリーンはアムステルダムにて、自宅としていたハウスボートで亡くなった[3][4]。