パブロ・オズーナ

パブロ・オズーナ
Pablo Ozuna
シカゴ・ホワイトソックス時代
(2008年6月7日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1974-08-25) 1974年8月25日(50歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション ユーティリティプレーヤー(主に外野手三塁手二塁手
プロ入り 1996年 アマチュア・フリーエージェントとしてセントルイス・カージナルスと契約
初出場 2000年4月23日
最終出場 2008年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

パブロ・ホセ・オズーナ(Pablo Jose Ozuna、1974年8月25日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手ユーティリティプレーヤー)。右投右打。

ポジションは主に外野手で、他に二塁手遊撃手三塁手一塁手でのプレー経験がある。

同じくメジャーリーガーのマーセル・オズナはいとこ[1]

経歴

[編集]

プロ入りとカージナルス傘下時代

[編集]

1996年4月にセントルイス・カージナルスと契約[2]

1998年、傘下A級ピオリア・チーフスで133試合に出場して、打率.357、出塁率.400、OPS.894、62盗塁の好成績を収め、ベースボール・アメリカ誌のマイナー代表チームとミッドウェストリーグのトップ・プロスペクトに選出され、リーグMVPにも輝くなど、メジャー昇格への足がかりを掴む。

マーリンズ時代

[編集]

1998年12月14日にエドガー・レンテリアとのトレードで、アーマンド・アルマンザ英語版ブレイデン・ルーパーの両投手と共にフロリダ・マーリンズへ移籍。

1999年は傘下AA級ポートランド・シードッグスで117試合に出場し、打率.281、7本塁打、46打点、31盗塁を記録[2]

2000年4月23日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。この年はわずか14試合の出場ながら打率.333をマーク。またAA級ポートランドでは打率.308、35盗塁を記録した[2]

2001年は手首の怪我のため全休した[3]

2002年は34試合に出場し、打率.277、0本塁打、3打点、1盗塁を記録した。

ロッキーズ時代

[編集]

2002年11月16日にマイク・ハンプトンフアン・ピエールとのトレードで、プレストン・ウィルソンチャールズ・ジョンソンヴィック・ダレンスバーグ英語版と共にフロリダ・マーリンズへ移籍[3]

2003年は膝の怪我のためわずか17試合の出場、打率.200に終わった。12月14日に自由契約となった[2]

フィリーズ傘下時代

[編集]

2004年1月9日にデトロイト・タイガースと契約したが、3月27日に金銭トレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。この年は傘下AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズで126試合に出場し、打率.307、6本塁打、76打点、31盗塁を記録したが、メジャーへの昇格機会は無かった[2]。オフの10月15日にFAとなった[2]

ホワイトソックス時代

[編集]

2005年1月19日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。移籍後は複数のポジションをこなすユーティリティープレーヤー代走・右の代打として、チームの世界一に貢献。当時、腰に故障を抱えていたジョー・クリーディやメジャー1年目だった井口資仁らの休養日の代役として、ウィリー・ハリスティモ・ペレスらと共に大きな役目を担った。この年は主に控えとして70試合に出場し、打率.276、0本塁打、11打点、自己最多の14盗塁をマーク。

2006年アレックス・シントロンロブ・マコーヴィアクらと共にユーティリティーとしてプレーし、自己最多の79試合に出場し、打率.328・メジャー初本塁打を含む2本塁打をマークした。また、8月24日のデトロイト・タイガース戦では左翼の守備で、ショーン・ケーシーを一塁でアウトにしてレフトゴロを記録した。

2008年は32試合に出場していたが、7月8日にDFAとなり、7月16日に自由契約となった[2]

ドジャース時代

[編集]

2008年7月20日にロサンゼルス・ドジャースと契約した。移籍後は32試合に出場。オフの11月12日にFAとなった。

フィリーズ傘下時代

[編集]

2009年1月15日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。開幕後は傘下AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスに配属された。6月11日、禁止薬物に陽性反応を示したため、50試合の出場停止処分が下った。8月20日に自由契約となった[4]

独立リーグ時代

[編集]

2010年独立リーグアトランティックリーグニューアーク・ベアーズと契約。28試合に出場して打率.294、1本塁打、13打点、3盗塁という成績だった。この年限りで退団した[2]

その後は、2012年-2013年シーズンまで母国ドミニカのウィンターリーグでプレーして現役を引退した。

プレースタイル

[編集]

1999年当時は、「選球眼が甘く四球を選べないものの、コンタクトに優れ、スピードとクイックネス(初動の速さ)を兼ね備えた優れた走者で遊撃守備も上手い」と評され、「(前年オフに)マーリンズがレンテリアを放出してまでトレードに応じたのは、オズーナを欲したからだ」と言われたほど将来を嘱望されていた[5]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
2000 FLA 14 26 24 2 8 1 0 0 9 0 1 0 2 0 0 0 0 2 0 .333 .333 .375 .708
2002 34 50 47 4 13 2 2 0 19 3 1 1 0 1 1 0 1 3 2 .277 .300 .404 .704
2003 COL 17 45 40 5 8 1 0 0 9 2 3 0 1 0 2 0 2 6 1 .200 .273 .225 .498
2005 CWS 70 217 203 27 56 7 2 0 67 11 14 7 3 0 7 0 4 26 5 .276 .313 .330 .643
2006 79 203 189 25 62 12 2 2 84 17 6 6 3 0 7 0 4 16 3 .328 .365 .444 .809
2007 27 85 78 9 19 3 0 0 22 3 3 0 3 0 3 0 1 9 1 .244 .280 .282 .563
2008 32 69 64 5 18 3 0 0 21 6 0 2 2 0 2 0 1 3 2 .281 .313 .328 .642
LAD 36 33 32 6 7 0 1 1 12 3 1 1 0 0 1 0 0 5 1 .219 .242 .375 .617
'08計 68 102 96 11 25 3 1 1 33 9 1 3 2 0 3 0 1 8 3 .260 .290 .344 .634
MLB:7年 309 728 677 83 191 29 7 3 243 45 29 17 14 1 23 0 13 70 15 .282 .318 .359 .677

年度別守備成績

[編集]


一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS) 中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)
















































2000 FLA - 7 12 17 1 3 .967 - - - - -
2002 - 10 13 16 1 3 .967 - - 1 0 0 0 0 ---- - -
2003 COL - 8 22 31 1 9 .981 - 3 3 6 1 0 .900 5 1 0 0 0 1.000 - -
2005 CWS 2 2 1 0 0 1.000 6 6 6 1 0 .923 32 29 67 6 4 .941 15 19 35 2 12 .964 - 9 10 0 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
2006 - 6 5 12 1 1 .944 17 5 11 0 0 1.000 - - 38 45 3 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
2007 - 3 12 10 0 3 1.000 9 5 9 3 0 .824 1 0 0 0 0 ---- - 7 13 0 1 0 .929 -
2008 - 10 10 11 1 0 .955 16 8 29 4 4 .902 - - - -
LAD - 27 17 32 0 4 1.000 1 0 0 0 0 ---- 4 0 4 0 0 1.000 - 2 0 0 0 0 ---- -
'08計 - 37 27 43 1 4 .986 17 8 29 4 4 .902 4 0 4 0 0 1.000 - 2 0 0 0 0 ---- -
MLB 2 2 1 0 0 1.000 77 97 135 6 23 .975 75 47 116 13 8 .926 23 22 45 3 12 .957 6 1 0 0 0 1.000 56 68 3 1 0 .986 2 0 0 0 0 ----

背番号

[編集]
  • 3 (2000年、2002年)
  • 1 (2003年)
  • 38 (2005年 - 2008年途中)
  • 14 (2008年途中 - 同年終了)

脚注

[編集]
  1. ^ Ismael Hernández (2020年1月10日). “Primo de Marcell Ozuna contó cómo de niño ayudaba en casa vendiendo pescado antes de dar salto a MLB”. Al Bat. 2022年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Pablo Ozuna Stats & Scouting Report”. Baseball America. 2022年2月26日閲覧。
  3. ^ a b Remember That Guy: White Sox utility man Pablo Ozuna”. NBC Sports Chicago (2020年3月18日). 2022年2月26日閲覧。
  4. ^ MLB公式プロフィール参照。2022年2月26日閲覧。
  5. ^ 谷口輝世子 「Future Impact ― 未来を約束された7人のルーキー」『月刊スラッガー No.13 , 1999年5月号』日本スポーツ企画出版社、51-55頁頁。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]