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名前 | ||||||
本名 |
パブロ・マルティン・リマ・オリド Pablo Martín Lima Olid | |||||
ラテン文字 | Pablo LIMA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1981年4月26日(43歳) | |||||
出身地 | モンテビデオ | |||||
身長 | 179cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (LSB) | |||||
ユース | ||||||
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2007 |
![]() | 197 | (14) | |||
2007-2010 |
![]() | 49 | (4) | |||
2009 |
→![]() | 18 | (2) | |||
2010-2011 |
![]() | 21 | (1) | |||
2011-2012 |
![]() | 4 | (0) | |||
2012-2013 |
![]() | 18 | (1) | |||
2013 |
![]() | 12 | (3) | |||
2014-2015 |
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2015-2016 |
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代表歴 | ||||||
2001-2007 |
![]() | 14 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
パブロ・マルティン・リマ・オリド(Pablo Martín Lima Olid, 1981年4月26日 - )は、ウルグアイ・モンテビデオ出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)。
2001年にダヌービオFCからプロデビューし、2004年シーズンと2006-07シーズンのリーグ優勝に重要な役割を果たした。2007年、リカルド・ラ・ボルペ監督率いるアルゼンチンのCAベレス・サルスフィエルドに移籍した[1]。アペルトゥーラ2007開幕戦のCAコロン戦においてパブロ・ヘレスに悪質なファールを見舞い、プリメーラ・ディビシオンが1991年に2ステージ制に移行して以来史上最速となる試合開始2分45秒での退場処分を受けた[2]。2009年1月12日、CAロサリオ・セントラルにレンタル移籍した[3]。クラウスーラ2009では1試合を除く全試合に出場して降格回避に貢献し、ともにフリーキックから2得点を挙げた。2010年6月にベレスとの契約が満了したが、クラブは契約延長の意思がないことを公表した[4]。2010年8月2日、ギリシャ・スーパーリーグのイラクリス・テッサロニキFCと2年契約を結んだ[5]。2010-11シーズン開幕戦のオリンピアコスFC戦 (2-1) でデビューし[6]、翌節のアトロミトスFC戦では試合終盤にクロスでカリム・ソルタニの同点弾をアシストして引き分けに貢献した[6][7]。AEL 1964と対戦した第3節では、リマが蹴ったフリーキックをクリアしようとしたダニエル・クザンのオウンゴールを誘った[6][8]。第4節ではカヴァラFCにホームで敗れ、リマはトップチームでのポジションを失った[6]。第13節のパニオニオスFC戦で77分に途中出場して復帰し[6]、続くエルゴテリスFC戦 (1-1) では直接フリーキックで移籍後初得点を挙げた[6][9]。この得点は第13節における最優秀ゴールに選ばれ[10]、かつてイラクリスの選手であったKyriakos Fytilisから副賞が手渡された[10]。この試合後には再びポジションを回復し、先発メンバーに復帰した。2010-11シーズン終了後、2011年7月にアルゼンチンのCAコロンに移籍した[11]。
2001年のコパ・アメリカでウルグアイ代表デビューし、同大会のコスタリカ戦で唯一の得点を挙げている[12]。2007年までに14試合に出場した。
# | 日付 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
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1. | 2001年7月22日 | アルメニア | ![]() |
2-1 | 2-1 | コパ・アメリカ2001 |