ビョーン・イエロッテ Björn Gelotte | |
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![]() 2018年 | |
基本情報 | |
出生名 | Björn Ingvar Gelotte[1] |
生誕 | 1975年8月27日(49歳) |
出身地 |
![]() イェーテボリ・ブーヒュース県 イェーテボリ |
ジャンル |
メロディックデスメタル オルタナティブ・メタル ヘヴィメタル |
職業 |
ギタリスト ドラマー 作曲家 レコーディング・エンジニア |
担当楽器 |
ギター ドラムセット |
活動期間 | 1994年 - |
共同作業者 |
イン・フレイムス オール・エンズ フレッシュ・オヴ・サイツ ペンデュラム |
著名使用楽器 | |
Gibson Les Paul custom |
ビョーン・イングヴァル・イエロッテ (スウェーデン語: Björn Ingvar Gelotte、1975年8月27日 - )は、スウェーデンのヘヴィメタルミュージシャン(ギタリスト、ドラマー)、作曲家。メロディックデスメタルバンド、イン・フレイムスのギタリストとして著名。
2004年にギターワールド誌の『GUITAR WORLD's 100 Greatest Heavy Metal Guitarists Of All Time』では、イン・フレイムスで同僚のイェスパー・ストロムブラードと共に、70位に選出された[2]。これは、メロディックデスメタル系のギタリストとしては最上位である。
また、ギター以外にもドラムスも演奏し、イン・フレイムス加入時はドラマーとして活動していた。
1990年代前半にフレッシュ・オヴ・サイツ (Flesh of Sights)というバンドでドラマーとして活動していた。なお、フレッシュ・オヴ・サイツには、後にドリーム・イーヴルでドラマーとして活動するパット・パワー(パトリック・ヤークステン)がギタリストとして在籍していた。1995年にイン・フレイムスにドラマーとして加入。2ndアルバムの『The Jester Race』からドラムスを担当する[注釈 1]。1998年に、ギタリストのニクラス・エンゲリンが脱退すると、ギターに転向する。元々、ギターが本職であったという[3]。この転向でイン・フレイムスにはダニエル・スヴェンソンがドラマーとして加入している。以降、イン・フレイムスのギタリストとして知名度を上げていく。イン・フレイムスでは、2ndアルバムから作曲に参加するようになり、ギタリスト転向後の4thアルバムからはほぼすべての楽曲の作曲にイェスパー・ストロムブラードが脱退するまで共に携わっていた[注釈 2]。イェスパー脱退後は、ビョーンとアンダースで作曲を行っている。
また、サイドプロジェクトとしてオール・エンズにもイェスパーと共に携わっていた。元々はギタリストとして在籍していたが、イン・フレイムスでの活動が忙しくなり、現在は作曲のみの参加となっている。また、同プロジェクトには実妹であるエマ・イエロッテ (Emma Gelotte)もボーカリストとして参加していた。
2010年には、オーストラリアのエレクトロニック・ミュージックバンド、ペンデュラムの楽曲『Self Versus Self』にイン・フレイムスの同僚、アンダース・フリーデン、ピーター・イワースと共に参加し、ビョーンはギターと作曲(Rob Swireとアンダース・フリーデンとの共作)を行った。
ミュージシャンとしての活動以外にも、レコーディング・エンジニアとしても活動しており、ストックホルム出身のメロディックデスメタルバンド、デグレイデッドの1stアルバム『Til Death Do Us Apart』では、ミキシングを担当した。
前述のエマ以外に実弟にジョン・イエロッテ (John Gelotte)がいる。ジョンは、ソース (Source)というメロディックデスメタルバンドでドラマーとして活動しており、1stアルバム『Left Alone』は輸入盤に帯・ライナーノーツを付けた形式で、日本盤もリリースされている[注釈 3]。
また、ビョーンは、Star Trek: TOSとアメリカ合衆国のロックバンド、CKYの熱烈なファンとしても知られている。