ピエロー・ジュニア | |
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プロフィール | |
リングネーム |
エル・ボカサス[1] コマンダンテ・ピエロー[1] ピエロー・デ・プエル・トリコ[1] ピエロー・デ・フォー[1] |
本名 | ノルベルト・サルガド・サルセド(Norberto Salgado Salcedo)[1] |
ニックネーム | 狂った道化師 |
身長 | 180cm[1] |
体重 | 97kg[1] |
誕生日 | 1958年3月10日(66歳)[1] |
出身地 |
メキシコ モレロス州クエルナバカ[1] |
トレーナー | エルフェゴ・シルバ[1]、グラン・コチーセ[1] |
デビュー | 1984年7月1日[1] |
ピエロー・ジュニア(Pierroth Jr.、本名:ノルベルト・サルガド・サルセド(Norberto Salgado Salcedo)、1958年3月10日 - )は、メキシコのプロレスラー(元覆面レスラー)。モレロス州クエルナバカ出身。
EMLL(現在のCMLL)を主戦場にし1988年4月4日にはエル・ハルコン78を破りメキシコナショナルライトヘビー級王座を奪取、一度防衛に失敗したが1990年1月12日に再びモグールを破り同ベルトを奪取[2]。
1990年5月26日にベスティア・サルバヘと組んでアンヘル・アステカ、アトランティスを破りメキシコナショナルタッグ王座を奪取[3]。
1991年9月にCMLLで行われたCMLL世界ライトヘビー級王座決定トーナメントで決勝でジェリー・エストラーダに破れ初代王者にはなれなかったが、1992年3月19日に再挑戦し奪取[4]。
3日後の3月22日にはマサクレ、ハケ・マテの「ロス・イントカブレス」と組んでエル・サタニコ、ピラタ・モルガン、MS1の「ロス・インフェルナレス」を破りCMLL世界トリオ王座を奪取[5]、10月にはWARに日本初来日[6]、1993年1月[7]、1994年1月[8]にも来日した。
1995年2月21日にはCMLLにてラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアを破りメキシコナショナルヘビー級王座を奪取[9]。1996年8月9日にはビジャノ3号、ビジャノ4号、ビジャノ5号の「ロス・ビジャノス」と組んでメキシコナショナルアトミコス王座奪取[10]。
1996年にはAAAに移籍、7月にはWWF(現在のWWE)に出場[11]、1997年1月にもWWFに出場し、ロイヤルランブルに参戦した[12]。
1998年7月20日には抗争中だったラ・パルカにコントラ・マッチで破れ素顔を晒す[13]。
その後CMLLに戻ったが、すぐにインディを転戦した。2008年以降、試合に出場しておらず現在はリタイヤ状態と思われる。
近年、「ピエロー」を冠したレスラーが多数現れる。一部はラ・ファミリア・ピエロー(La Familia Pierroth)としてチームで活動している。メンバーにエル・イ・ホ・デル・ピエロー(2007年5月に全日本プロレスに来日したYAMADA)、ピエロー2号(IWRGで活躍するアンチクリスト)、ピエロー・ジュニア(AAAやIWRGで活躍するXフライ)、トロ・ブランコがCMLLで名乗るピエロー。