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名前 | ||||||
本名 | Peter Simon Barnes | |||||
カタカナ | ピーター・サイモン・バーンズ | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1957年6月10日(67歳) | |||||
出身地 | マンチェスター | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
代表歴 | ||||||
1977-1982 |
イングランド U-21 イングランド |
21 (7) 22 (5) | ||||
監督歴 | ||||||
1998 1998 |
ジブラルタル リンカーン | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ピーター・サイモン・バーンズ(Peter Simon Barnes、1957年6月10日 - )は、イングランド出身のサッカー選手。同じくサッカー選手であるケン・バーンズの息子である。
マンチェスターで生まれ、地元のクラブであるマンチェスター・シティに加入し、1974-75シーズンにトップチームデビューを飾った。19歳で出場した1976年のリーグカップの決勝ではゴールを挙げ、チームも2-1で勝利し、同シーズンにはPFA年間最優秀若手選手賞を受賞した。1979年にマルコム・アリソンにより、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンに752,000ポンドで放出された。ウェスト・ブロムが支払ったこの移籍金の額は20年近く破られなかった。
1979-80シーズンにはウェスト・ブロム内のトップスコアラーとなったが、1981年にリーズ・ユナイテッドに移籍してからは、このシーズン以上の活躍を見せることはなかなかできなかった。リーズの監督であったアラン・クラークは、バーンズをフォワードとして起用したが、バーンズは新しいポジションに馴染めず1ゴールしか挙げられなかった。バーンズはイングランド代表チームのレギュラーであったが、彼を良く思わない選手がクラブで活躍していないことを盾にロン・グリーンウッドに彼を外すように圧力をかけた。
リーズが2部に降格し、スペインのクラブチームであるレアル・ベティスにレンタル移籍したが、バーンズはスペインでの生活に馴染めず、年が明けるとリーズに復帰した。ディヴィジョン2で27試合に出場し、4ゴールを挙げた。翌シーズンには、50,000ポンドでコヴェントリー・シティに加入し、29試合で8ゴールを挙げた。ロイ・アトキンソンはマンチェスター・ユナイテッドのために彼を獲得し、そこではイェスペル・オルセンのバックアッパーとして十分な活躍を見せた。在籍2年間で25試合に出場し、10ゴールを挙げた。
アトキンソンからアレックス・ファーガソンに監督が交代すると、バーンズは居場所をなくし、1987年にマンチェスター・シティに復帰した。しかし、すぐに構想から漏れ、ボルトン・ワンダラーズとポート・ヴェイルにレンタルで出された [1] 。ハル・シティ、ボルトン、サンダーランドにそれぞれ短い期間であったが所属し、APSLのタンパベイ・ローディーズに加入した後に、バリーと契約を結ぶことが出来ず、複数のクラブを渡り歩いた後に、ノンリーグのモスリーに行きついた。
現役を引退してからは、リンカーンで監督を務めた後に、マンチェスター・シティや地元のラジオ局で働いた。