ピーター男爵

ピーター男爵
Baron Petre
Arms of Petre: Gules, a bend or between two escallops argent[1]
創設時期1603年7月12日
創設者ジェームズ1世
貴族イングランド貴族
初代初代男爵ジョン・ピーター英語版
現所有者18代男爵ジョン・ピーター英語版
相続人ドミニク・ピーター
付随称号なし
邸宅インゲートストーン・ホール英語版
モットー神無くしては何もない
(Sans Dieu Rien)

ピーター男爵英語: Baron Petre)はイングランド貴族男爵位。

ジョン・ピーター英語版1603年に叙されたのに始まる。

歴史

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テューダー朝の廷臣ウィリアム・ピーター英語版(1505頃-1572)の息子でエセックス州のハイ・シェリフ英語版庶民院議員などを務めたジョン・ピーター英語版(1549–1613)は、1603年7月21日勅許状によりエセックス州におけるライトルのピーター男爵(Baron Petre, of Writtle in the County of Essex)に叙せられた[2][3]。以降ピーター男爵位はその男系男子によって現在まで継承され続けている[2]

ピーター家は熱心なカトリックの一族であり、4代男爵ウィリアム・ピーター(1626–1684)カトリック陰謀事件1678年に逮捕されロンドン塔で獄死している[4]。9代男爵ロバート・ピーター(1742–1801)カトリック解放運動に尽力した[4]。また彼は1772年から1777年にかけてフリーメイソンのイングランド・首位グランドロッジ英語版の最高指導者グランドマスターを務めたことでも知られる[2]。11代男爵ウィリアム・ピーター(1793–1850)の代の1829年にカトリック解放法が可決されたことにより貴族院に議席をもてるようになった[2]。13代男爵ウィリアム・ピーター(1847–1893)もカトリック教育の普及に尽力した[4]

2016年現在の当主は18代男爵ジョン・ピーター英語版(1942-)である[2]

ピーター男爵家邸宅インゲートストーン・ホール英語版

邸宅はエセックス州インゲートストーン・ホール英語版とエセックス州のチェルムスフォードのライトル・パーク(Writtle Park)である[2]

家訓は「神無くしては何もない(Sans Dieu Rien)」[2]

ピーター男爵 (1603年)

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脚注

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出典

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  1. ^ Debrett's Peerage, 1968, p.883
  2. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Petre, Baron (E, 1603)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月16日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “John Petre, 1st Baron Petre” (英語). thepeerage.com. 2016年2月16日閲覧。
  4. ^ a b c Pollen, John Hungerford [in 英語] (1913). "Family of Petre" . In Herbermann, Charles (ed.). Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company.