ファニア・レコード(Fania Records)は、1964年にニューヨークで設立されたラテン音楽専門のレコード会社であり、サルサを代表するレコードレーベル。設立者はイタリア系アメリカ人弁護士のジェリー・マスッチ(Jerry Masucci)とドミニカ共和国出身のバンド・リーダーのジョニー・パチェーコ(Johnny Pacheco)。1970年代のサルサ界では圧倒的な存在感を誇り、数々のスター・アーティストを抱え多くのヒット作を製作した。
所属アーティストを集めて結成したファニア・オールスターズは中南米、ヨーロッパ、アフリカ、日本など世界各地で公演活動を行い、サルサを世界中に広める役割も果たした。ジャズに於けるブルーノート・レコードや、リズム・アンド・ブルースに於けるモータウン・レコードのように、サルサというジャンルを象徴する存在でもあった。ドキュメンタリー映画「アワ・ラテン・シング - ヌエストラ・コサ」- Our Latin Thing (Nuestra Cosa Latina、 1972年)は彼らのステージの熱気を伝える作品として知られる。
- 1964年 ニューヨークにて設立。
- 1967年 レイ・バレットを獲得。
- 1968年 ファニア・オールスターズを旗揚げ。レッド・ガーターにて公演。
- 1971年 ファニア・オールスターズがニューヨークのクラブ「チーター」にて公演。(翌年、このコンサートを主な題材にした映画「アワー・ラテン・シング」が公開される。)
- 1973年 ファニア・オールスターズがヤンキー・スタジアムにて公演。4万人の観衆を集める(翌年、このコンサートを主な題材にした映画「サルサ」が公開される。)。また、同年、バジャ・レーベル(Vaya)を立ち上げ、セリア・クルース(Celia Cruz)を獲得。
- 1974年 ファニア・オールスターズがザイールのキンシャサで開催されたブラック・ミュージック・フェスティヴァルに出演。
- 1975年 ティコ(Tico)、アレグレ(Alegre)などのラテン音楽のレーベルを買収。
- 1976年 ファニア・オールスターズがヨーロッパ公演および日本公演を行う。
- 1977年 ファニア・オールスターズがマディソン・スクエア・ガーデンにて公演。
- 1978年 ウィリー・コローンとルベーン・ブラデスによる「Siembra」を発表。ファニア・レーベル史上最高の売り上げを記録した。
- 1980年 ジェリー・マスッチがアルゼンチンへ移住。
- 1984年 ルベーン・ブラデスがエレクトラへ移籍。ウィリー・コローンがRCAに移籍。
- 1994年 会社設立30周年記念ファニア・オールスターズ公演をプエルトリコのサン・ファンにて開催。
- 2005年 マイアミのレコード会社であるイームジカ(Emusica)に買収される。
- 2016年 コンコードに買収される。[1]