この項目では、タイ語の単語について説明しています。
旅行者たちでにぎわうバンコク のカオサン通り 。タイ人に「ファラン」を連想させる場所となっている。
ファラン (タイ語 : ฝรั่ง [faràŋ] 、口語: [falàŋ] )はヨーロッパ 系の人を指すタイ語 の一般的な単語 である。ヨーロッパ系であればその人の出身地は問わず「ファラン」とされる。タイ語の公式辞典、ロイヤル・インスティチュート・ディクショナリー (英語版 ) は「ファラン」を「白色人種 の個人」と定義している[ 1] 。
1833年にアメリカ の使節としてインドシナ にわたったエドムンド・ロバーツ (英語版 ) は「ファラン」に「フランク人 (またはヨーロッパ人 )」と訳語を当てている[ 2] 。
またヨーロッパ人と黒人 の混血 は「ファラン・ダム」(ฝรั่งดำ、黒いファランの意)と呼ばれ、白人とは区別される。これはベトナム戦争 時にアメリカ軍 がタイ国内に基地 を置くようになってから使われるようになり、今日まで残っている[ 3] 。
ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム (寺院)の前にあるファラン像。バンコク。
「ファラン」という語の由来に関してはいくつかの説が存在する。ひとつ目はヒンディー語 の「フィランギ」(デーヴァナーガリー : फिरंगी、外国の意)に由来するというもの。これはイギリス領インド帝国 時代に作り出された「ヨーロッパ人」を指す言葉で、侮蔑的な意味を含んでいる。もう一つはペルシア語 の「ファラング」(wikt:فرنگ )または「ファランギ」(wikt:فرنگی )に由来するというものであり、こちらも「ヨーロッパ人」を意味する。しかし伝播のルートは違えどこれらの言葉は、古フランス語 でフランク人 を意味する「フランク」(franc )が語源になっている。フランク人は中世 の西ヨーロッパ および中央ヨーロッパ に影響力を持った部族で「フランス 」の語源にもなっている。フランク系の国家が数世紀にわたりヨーロッパを支配していたため、当時ヨーロッパはもとより中東 世界でも「フランク人」と、カトリック を信奉する「ラテン人 」は結びつけて考えられていた。中世およびそれ以降、ムスリム とペルシア人 は西方教会 を「フランギスタン」(ペルシア語 : فرنگستان)と呼んだ。
また、ラシド・アル=ディン・ファズル・アラー(Rashid al-din Fazl Allâh)はタイ語の「ファラン」はアラビア語 の「アフランジ」(afranj)に由来するとしている[ 4] 。この語はエチオピア では「ファランジ」(faranj)となり白人、またはヨーロッパ人を指す言葉となっている。これらの例はどちらも南インド、マラヤーラム語 やタミル語 の単語に起源を持ち、その後クメール語 やマレー語 、そしてさらに広範囲に広がった。中国では「佛郎機」となりフランキ砲 に名前を残している。
タイ語では「ファラン」はグアバ (フルーツ)を指す語でもある。グアバは400年以上前にポルトガル人 の船乗りによってタイに持ち込まれている。当然、白人(ファラン)がグアバ(ファラン)を食べているとタイ人にとって言葉遊びの種になる。グアバの一種であるフェイジョア はタイ語では「ファラン・キ・ノク」(タイ語: ฝรั่งขี้นก)となり、この語は同時にだらしないファラン(白人)、特にバックパッカー を意味する言葉にもなる。ちなみに「ファラン・キ・ノク」の「キ」は「糞尿」、「ノク」は「鳥」を意味する。そのため「キ・ノク」はグアノ (鳥の糞由来の肥料)を意味する言葉でもある。またイサキ科 の魚、シマイッサキ も「キ・ノク」と呼ばれている[ 5] 。
ヨーロッパ人によって持ち込まれた作物、製品などに「ファラン」という語が使われる例がある。例えばジャガイモ は「マン・ファラン」(タイ語: มันฝรั่ง)となる。「マン」は「芋 、塊茎 」を意味する。また「オオバコエンドロ 」は「パク・チー・ファラン」(タイ語 : ผักชีฝรั่ง 、文字通りファランのパクチー )と呼ばれる。チューインガム は「マク・ファラン」(タイ語: หมากฝรั่ง)となる。「マク」はビンロウヤシ を意味し、東南アジアではキンマ としてビンロウを噛む習慣がある。
また、標準語では「ファラン」と表されるグアバは、東北方言イーサーン語 では「マク・シダ」(タイ語: หมากสีดา)と呼ばれる。加えてイーサーンでは男性の敬称が「バク」なので、白人の男性は「バク・シダ」(タイ語: บักสีดา)とよばれる。つまり白人を指す「ファラン」から標準語でのグアバを意味する「ファラン」を経由したイーサーンの言葉遊びである[ 6] 。
モルディブ では「ファランジ」(Faranji)という語がヨーロッパ系の人、とりわけフランス人を意味する。マレ の北の海岸にある要塞 の前の道は最近までファランジ・カロ・ゴーヒ(Faranji Kalō Gōlhi)と呼ばれていた[ 7] 。
^ “พจนานุกรม ฉบับราชบัณฑิตยสถาน พ.ศ. ๒๕๔๒ ” [Royal Institute Dictionary 1999] (Thai). Royal Institute of Thailand (英語版 ) (2007年). 2009年3月3日時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年4月5日 閲覧。 “ฝรั่ง ๑ [ฝะหฺรั่ง] น. ชนชาติผิวขาว; คําประกอบชื่อสิ่งของบางอย่างที่มาจากต่างประเทศซึ่งมีลักษณะคล้ายของไทย เช่น ขนมฝรั่ง ละมุดฝรั่ง มันฝรั่ง ตะขบฝรั่ง ผักบุ้งฝรั่ง แตรฝรั่ง.”
^ Roberts, Edmund. “Chapter XIX 1833 Officers of Government” . Embassy to the Eastern courts of Cochin-China, Siam, and Muscat : in the U. S. sloop-of-war Peacock ... during the years 1832-3-4 (Digital ed.). Harper & brothers. https://books.google.co.th/books?oe=UTF-8&id=aSgPAAAAYAAJ&q=Frank+%28or+European%29#v=snippet&q=Frank%20%28or%20European%29&f=false March 29, 2012 閲覧 . "Connected with this department is that of the Farang-khromma-tha," Frank (or European) commercial board"
^ Eromosele, Diana Ozemebhoya. Being Black in Thailand: We're Treated Better Than Africans, and Boy Do We Hate It. The Root. 2015-05-26. URL:http://www.theroot.com/articles/culture/2015/05/black_in_thailand_we_re_treated_better_than_africans_and_boy_do_we_hate.html . Accessed: 2015-05-26. (Archived by WebCite® at https://webcitation.org/6YpQxWRbF
^ Karl Jahn (ed.) Histoire Universelle de Rasid al-Din Fadl Allah Abul=Khair: I. Histoire des Francs (Texte Persan avec traduction et annotations), Leiden, E. J. Brill, 1951. (Source: M. Ashtiany)
^ ThaiSoftware Dictionary Version 5.5 by ThaiSoftware Enterprise Co., Lrd. www.thaisoftware.co.th www.thaisoft.com
^ “Isaan Dialect ”. SiamSmile (Dec 2009). 28 December 2009 閲覧。 “SEE-DA สีดา BAK-SEE-DA บักสีดา or MAHK-SEE-DA หมากสีดา. Guava fruit; Foreigner (white, Western.) BAK is ISAAN for mister; SEE-DA สีดา, BAK-SEE-DA and MAHK-SEE-DA are Isaan for the Guava fruit.”
^ Royal House of Hilaaly-Huraa
ウィキメディア・コモンズには、
ファラン に関連するカテゴリがあります。