フィラデルフィア・キーストーンズ(Philadelphia Keystones)は、1884年にペンシルベニア州フィラデルフィアを本拠地として、ユニオン・アソシエーションに加盟していたプロ野球チーム。
1884年のユニオン・アソシエーション設立にあわせて編成され、シーズン当初から参加していたが、当時フィラデルフィアではナショナルリーグにクエーカーズ(現フィリーズ)、またアメリカン・アソシエーションにアスレチックスが加盟して活動していた。フランチャイズが競合し飛びぬけたスター選手もいなかったキーストーンズは集客に苦労することになる。同年クエーカーズとアスレチックスが年10万人以上の観客を動員していたのに比べ、キーストーンズはおよそ2万人弱の動員にとどまっていた。このチームは同年、かつてナショナル・アソシエーション時代に2度の首位打者となったリーヴァイ・メイエールを6年ぶりに現役復帰させ、3試合に出場させているが、これも集客策の1つと考えられている。
チームは投手ジャージー・ベークリーとサム・ウィーバーの二枚看板が弱く、なかなか勝ち星を挙げられなかった。1884年7月2日から7月12日までの間に8連勝した記録はあるが、通算の勝率は3割程度にとどまった。8月初めに運営が行き詰まりチームは解散。残り日程の消化のためウィルミントン・クイックステップスがリーグに参加することになった(しかしクイックステップスも同年途中で解散し、更なる残り日程はミルウォーキー・ブルワーズが消化することになった)。
※順位は勝率による。
年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
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1884年 | UA | 67 | 21 | 46 | .313 | 8位 | ファーギー・マローン | Keystone Park |