ノアイユ伯(comte de Noailles)、のちムシー公フィリップ・ド・ノアイユ(Philippe de Noailles, duc de Mouchy、1715年 – 1794年6月27日)は、フランス王国の貴族、軍人。1775年にフランス元帥に叙された[1]。
第3代ノアイユ公爵アドリアン・モーリス・ド・ノアイユとフランソワーズ・シャルロット・ドービニェの息子として、1715年に生まれた[1]。兄にあたる第4代ノアイユ公爵ルイ・ド・ノアイユと同じく軍人の道の歩み、七年戦争ではミンデンの戦いなどの戦役に参戦した[1]。1775年、兄と同日にフランス元帥に叙された[1]。
ときの宮廷で気に入られ、妻アンヌ・クロード・ルイーズ・ダルパジョンが王妃マリー・アントワネットの首席女官(Première dame d'honneur)を務めた[1](アンヌはその性格から王妃に「マダム・エチケット」(Madame Etiquette)というあだ名で呼ばれた[1])。フランス革命ではこれが仇となり、1794年6月27日に夫婦もろともギロチンで処刑された[1]。
息子に憲法制定国民議会議員を務めたフィリップ=ルイとルイ・マルク・アントワーヌがいる[1]。
フランスの爵位 | ||
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爵位創設 | ムシー公爵 1747年 – 1794年 |
次代 フィリップ=ルイ・ド・ノアイユ |