フェデリコ・ヨホフ(Federico Johow、ドイツ名: Friedrich Richard Adelbert (Adelbart) Johow、1859年2月5日 - 1933年4月30日)は、ドイツ生まれで、チリで活動した植物学者、生物学者である[1]。
当時プロイセン王国領であったポーゼン州コルマール(Kolmar, 現ポーランド、ヴィエルコポルスカ県ホジェッシュ:Chodzież)に生まれた。ベルリン大学で学んだ後、ボン大学で動物学、植物学を学び、1880年に博士号を得た。1882年にベルリン王立科学アカデミーの資金でベネズエラと小アンティル諸島への科学探検に参加した。1888年にボン大学の博物学の准教授となった。
1889年にサンティアゴに移住し、チリの教育大学、Instituto Pedagógico de la Universidad de Chile(現在のUMCE、Universidad Metropolitana de Ciencias de la Educación)の教授となり、1925年まで36年間、その仕事を続けた。太平洋のファン・フェルナンデス諸島の科学調査を何度か率い、1896年にファン・フェルナンデス諸島の植物誌、"Estudios sobre la flora de las Islas de Juan Fernández" を執筆した。キク科の植物を専門とした。チリのバルディビアで没した。
シソ科の植物の属名、Johowia(現在は、Cuminia のシノニム)に献名された。