フォーミュラ・ドリーム(Formula DREAM 、略称:FD)は、本田技研工業(ホンダ)が1999年から2005年にかけて運営していたジュニア・フォーミュラシリーズ。2006年以降はHondaフォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)として若手ドライバー育成活動を行っている。
フォーミュラ・ドリーム(FD)は鈴鹿サーキットが運営しているレーシングスクール「鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ」(SRS-F)の上位カテゴリーとして1999年に創立された。
過去同シリーズからは井出有治、松浦孝亮、柳田真孝などが成績優秀者として上位カテゴリー(フォーミュラ・ニッポン、SUPER GTなど)で活躍している。
2004年より制度を一部改正し、シーズンに6~7回程度行われるレースへの個別参戦が認められるようになったほか、年齢制限を撤廃。これにより将来のステップアップを目指す若手ドライバーだけでなく、自分のドライビング技術を磨きたい中堅ドライバーなどの参戦が容易になった。
2006年より、フォーミュラ・ニッポンを主催する日本レースプロモーションが新たなジュニア・フォーミュラシリーズ「フォーミュラチャレンジ・ジャパン」(FCJ)を立ち上げ、ホンダがFCJのシリーズ展開を支援することとなったため、フォーミュラ・ドリームは2005年シーズンを最後に7年間の活動を終了した。
「徹底したイコールコンディション」によるスキルアップと「参戦費用の安さ」を売り物にしている。
など、それまでのジュニア・フォーミュラで問題となりやすかった点を解決するための様々な試みや特徴がある。
シリーズチャンピオンに対しては全日本F3選手権へのスカラシップが用意されているほか、成績優秀者には翌年度のフォーミュラ・ドリーム参戦費用を割り引くなどのサポートも行われた。また一レース毎の賞金もこの種のカテゴリーでは他に例のない高額(優勝で100万円)であった。
童夢製のシャシーに無限製の2.2リッターエンジンを搭載したワンメイク。使用されたマシンは1999年から2002年はFD-99、2003年から2005年はFD-03と時期によって違うが、性能は基本的に同一であるとされる。
トランスミッションは柳川精機がFDの為に開発した前進5速後進1速のシーケンシャルシフト方式のものを、タイヤはブリヂストンがF3と同スペックのものを供給。2001年からはエンジンをオーバーレブさせた場合に、次にアクセルを全開にしたときに数秒間エンジン馬力を低下させる「ペナルティシステム」を導入している。これは単にレースを行うだけではなく、ドライバー育成を大きな目的としているためである。
前述の通り2006年からはFCJが発足したため、「フォーミュラ・ドリーム」という名称はホンダの若手ドライバー育成プロジェクト全体を指す名称として使われるようになった。トヨタ自動車のトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)と並び、日本国内における若手レーシングドライバーの登龍門的存在となっている。
主な活動としては、SRS-Fを卒業した成績優秀者にスカラシップを提供し、国内のFCJ、F4、フォーミュラ・ニッポン→スーパーフォーミュラへの参戦を支援する。もしくは、海外のジュニアカテゴリへ派遣する。また、インディ・プロ・シリーズからインディカー・シリーズへ昇格する武藤英紀(2003年度FDチャンピオン)をスポンサーとして支援した。
2009年からReal Racingとタイアップして、「HFDP(Honda Formula Dream Project)」のエントラント名でフォーミュラ・ニッポンや全日本F3選手権(Nクラス)に参戦した。
2015年にホンダがF1へのパワーユニット供給を始めるにあたり、2014年よりパートナーのマクラーレンと提携して、新たな日本人F1ドライバーを輩出する取り組みを開始した[1]。選抜されたHFDPドライバーはマクラーレンのシミュレーターでテストドライブを体験し、F1傘下のGP2(現・FIA F2)やGP3(現・FIA F3)に参戦して、スーパーライセンス発行に必要なポイント獲得に励むことになる。2017年を以てホンダとマクラーレンとのパートナーシップが終了し、2018年よりトロ・ロッソへパワーユニットを供給するため、育成プログラムもレッドブルグループとの関係が深まっている。2021年をもってホンダがF1から撤退するものの、レッドブルとのパートナーシップについては2022年以降も継続する方針を明らかにしている。