Footlights
フットライツ
ADCシアターはフットライツのホーム劇場である |
設立 |
1883年 (141年前) (1883) |
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種類 |
アマチュア演劇クラブ |
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所在地 |
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ウェブサイト |
公式ウェブサイト |
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ケンブリッジ大学フットライツ・ドラマティック・クラブ(英: Cambridge University Footlights Dramatic Club)、通称フットライツ(英: Footlights)は、イングランド・ケンブリッジで1883年に創設されたアマチュア演劇クラブで[1][2]、ケンブリッジ大学の学生によって運営されている。オックスフォード大学のオックスフォード・レビュー(英語版)と並んで、多くの俳優・コメディアンを輩出していることでも有名である。
フットライツの最初のパフォーマンスは、1883年6月に行われた。「フットライツ」との名前が選ばれる数ヶ月前にも、グループは地元ケンブリッジの観客を前にパフォーマンスを行っている(場所は "pauper lunatic asylum"[注 1]で、クリケットの試合も行われた)。メンバーたちは、ケンブリッジ大学アマチュア・ドラマティック・クラブ(英語版)(英: Cambridge University Amateur Dramatic Club, ADC)よりも幅広く活動したいと考えた。ADCは1855年に設立されたが、メンバーはほとんどがトリニティ・カレッジの学生のみで、さらに劇場の定員はわずか100人だったためである。フットライツのメンバーはメイ・ウィーク(英語版)ごとにシアター・ロイヤル(英: Theatre Royal)でパフォーマンスを行うようになり、程なくして公演を一般公開するようになった。地元紙はクラブの活動について、「学内全体から参加して、ケンブリッジの様々なクラスのメンバーから構成されている」(The "general public, the many different classes of which life in Cambridge is made up") と述べている[1]。
クラブは1960年代に、コメディと風刺の巣として急速に発展し、ディベートクラブであるケンブリッジ・ユニオン(英語版)を基盤に、常設の本拠地を設置した[3]。クラブはエディンバラ・フェスティバル・フリンジで毎年公演を行うようになり、さらにビヨンド・ザ・フリンジ(英語版)のメンバー半分がクラブの出身者だったことから、コメディ界のメインストリームに躍り出た。ビヨンド・ザ・フリンジは、1960年にイギリス・アメリカで劇場ツアーを行い、時事風刺劇(レビュー)で大人気を博した。1963年のレビューではビヨンド・ザ・フリンジの足跡を追い、エディンバラ・ウエスト・エンド (ロンドン)で公演を行ったほか、更にニュージーランド・アメリカツアーも行った。アメリカではブロードウェイやエド・サリヴァン・ショーにも出演したほか、『タイム』誌には1面の批評文が掲載された。続く1970年代には、フットライツ出身のメンバーが、コメディ番組の制作・主演に関わり英国コメディに大きく寄与した。例えば "Not Only... But Also" (en) や"I'm Sorry, I'll Read That Again" (en) 、"At Last the 1948 Show" (en) 、"That Was the Week That Was" (en) などの番組にはフットライツ出身者が数多く出演していたし、モンティ・パイソンや "The Goodies" (en) のメンバーも輩出するなど[注 2]、フットライツはこの時期の風刺ブーム (Satire boom) に火を点けた[4][5][6]。
フットライツは創部以来男子部員のみで構成され、女子の参加は禁止されていたが、エリック・アイドルがプレジデントだった時代に、この「女子禁制」のしきたりが廃止され、女子の正式参加が認められた[7]。
1980年代には、フットライツが再び英国コメディの心臓部となった。エマ・トンプソンやヒュー・ローリー、スティーヴン・フライ、ローワン・アトキンソン、トニー・スラッタリー(英語版)、ペニー・ドワイアー(英語版)、ポール・シェアラー(英語版)が出演した[8]1981年のレビューでは、エディンバラ・フリンジ・フェスティバルのペリエ賞(英語版)を初受賞したほか、その後大人気・大成功を収めたコメディ・コンビ、フライ・アンド・ローリー(英語版)を産むことになった[注 3][3][9][10]。クラブ出身者には、エマ・トンプソンをはじめ、オスカーや英国アカデミー賞 (BAFTA) などの賞を獲得し、エンターテインメント・メディア部門で成功を収めている人物も多数存在する。
現在フットライツは、英国で活躍する多くのコメディアン向けの教養学校(英: a finishing school)としても認識されている。
学期を通じて、フットライツは恒例で大人気の「スモーカーズ」(英: "Smokers")を制作する。これはスケッチ・コメディーとスタンダップ・コメディを組み合わせたもので、本拠地でもあるADCシアター(英語版)で上演される[注 4]。クラブでは演劇、パントマイム、スケッチ・ショーも上演され、少なくとも1回のレビュー公演を含み、通常春に公演が行われる。学期外では、フットライツは国際ツアーを行い、新作をウェスト・エンド・シアターやアメリカで上演する。2015年の国際ツアーでは、パリ、エディンバラ、アメリカ、カナダ、ケイマン諸島に舞台を広げた[11][12]。
ケンブリッジ大学を卒業後に成功したフットライツのメンバーがリスト化されている。
フットライツ内で投票によって選ばれるリーダーは、「プレジデント」(英: The president)として知られている。副プレジデント、会計係、記録係などのメンバーがプレジデントを支え、委員会を形成する。
歴代のプレジデントには次のような著名人がいる。
創部から1920年まで
- 1886 – F・W・モーティマー F. W. Mortimer
- 1887 – J・J・ウィザーズ J. J. Withers
- 1890 – オスカー・ブラウニング(英語版) Oscar Browning
- 1891 – C・M・レイ C. M. Rae
- 1892 – オスカー・ブラウニング Oscar Browning
- 1894 – オスカー・ブラウニング Oscar Browning
- 1895 – オスカー・ブラウニング Oscar Browning
- 1896 – H・C・ポリット H. C. Pollitt
- 1897 – H・C・ポリット H. C. Pollitt
- 1898 – M・V・ルヴォー M. V. Leveaux
- 1899 – S・W・バージェス S. W. Burgess
- 1900 – O・J・ゴウデッカー O. J. Goedecker
- 1901 – R・J・ホワイト R. J. White
- 1902 – E・K・フォーダム E. K. Fordham
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- 1904 – G・S・ヒースコート G. S. Heathcote
- 1905 – G・S・ヒースコート G. S. Heathcote
- 1906 – H・ロッテンバーグ H. Rottenburg
- 1907 – H・ロッテンバーグ H. Rottenburg
- 1908 – J・S・マリー J. S. Murray
- 1909 – L・B・ティラード L. B. Tillard
- 1910 – A・R・イングリス A. R. Inglis
- 1911 – A・R・イングリス A. R. Inglis
- 1912 – P・D・レイヴンズクロフト P. D. Ravenscroft
- 1913 – C・A・A・ダグラス・ハミルトン C. A. A. Douglas Hamilton
- 1914 – M・カザーストン M. Cutherston
- 1919 – B・D・ニコルソン B. D. Nicholson
- 1920 – B・D・ニコルソン B. D. Nicholson
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1921年から1960年まで
- 1921 – M・D・ライオン(英語版) M. D. Lyon
- 1922 – M・D・ライオン M. D. Lyon
- 1923 – F・E・パウエル F. E. Powell
- 1924 – J・A・C・バラデイル J. A. C. Barradale
- 1925 – H・J・ワレンダー H. J. Warrender
- 1926 – J・D・ハウイゾン・クロファード J. D. Houison Craufurd
- 1927 – H・C・マーティノー H. C. Martineau
- 1928 – H・E・R・ミッチェル H. E. R. Mitchell
- 1929 – J・フェル・クラーク J. Fell Clark
- 1930 – J・C・バイロム J. C. Byrom
- 1931 – R・S・ヒル R. S. Hill
- 1932 – P・E・ライオン P. E. Lyon
- 1933 – J・A・コーツ J. A. Coates
- 1934 – マイケル・モリス (第3代キラニン男爵) Lord Killanin
- 1935 – ハリー・リー Harry Lee
- 1936 – ピーター・クレイン Peter Crane
- 1937 – アルバート・E・P・ロビソン Albert E. P. Robison
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- 1938 – P・B・マイヤー P. B. Meyer
- 1939 – ロバート・リケッツ Sir Robert Ricketts
- 1947 – D・C・オーダーズ D. C. Orders
- 1948 – D・C・オーダーズ D. C. Orders
- 1949 – サイモン・フィップス Simon Phipps
- 1950 – エイドリアン・ヴェイル Adrian Vale
- 1951 – イアン・ケリー Ian Kellie
- 1952 – アンドリュー・デイヴィッドソン Andrew Davidson
- 1953 – ピーター・ファース Peter Firth
- 1954 – レズリー・ブリカス(英語版) Leslie Bricusse
- 1955 – ブライアン・マーバー Brian Marber
- 1956 – ティム・ベリントン Tim Berington
- 1957 – アラン・ミッチェル Allan Mitchell
- 1958 – ピーター・ストラウド Peter Stroud
- 1959 – エイドリアン・スレイド(英語版) Adrian Slade
- 1960 – ピーター・クック(英語版) Peter Cook
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2001年から現在
- 2001 – ジェームズ・モリス James Morris
- 2002 – エド・ウィークス(英語版) Ed Weeks
- 2003 – ステファン・ゴラスゼフスキ[訳語疑問点] Stefan Golaszewski
- 2004 – エド・リッチズ Ed Riches
- 2005 – レイフ・シャーリー Raph Shirley
- 2006 – サイモン・バード(英語版) Simon Bird
- 2007 – ウィル・シャープ(英語版) Will Sharpe
- 2008 – サム・スウォード Sam Sword
- 2009 – アラステア・ロバーツ Alastair Roberts
- 2010 – アビ・テッダー Abi Tedder
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- 2011 – マーク・フィダモン Mark Fiddaman
- 2012 – フィル・ワン(英語版) Phil Wang
- 2013 – ハリー・ミッチェル Harry Michell
- 2014 – ベン・ポープ Ben Pope
- 2015 – トーマス・フレイザー Thomas Fraser
- 2016 – オリヴァー・テイラー Oliver Taylor
- 2017 – ディロン・メイプルトフト Dillon Mapletoft
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Information about the Footlights Revues during the first one hundred years of the Cambridge University Footlights Dramatic Club (1883–1983) and the people who appeared in them, with a foreword by Eric Idle.
- Hewison, Robert (1983). Footlights! – a hundred years of Cambridge comedy. Methuen London Ltd. ISBN 978-0-413-51150-8
- ^ "pauper" は貧困者、"lunatic" は心神喪失者、"asylum" は「保護施設・精神病院」との意味があるため、この施設は救貧院のような場所と考えられる。
- ^ パイソンズのうち、ジョン・クリーズ、グレアム・チャップマン、エリック・アイドルがフットライツの出身である。アイドルはフットライツのプレジデントも務めた。また "The Goodies" は3人全員がフットライツ出身。
- ^ 『フライ・アンド・ローリー』はスティーヴン・フライとヒュー・ローリーによるコメディ・コンビ。
- ^ スタンダップ・コメディはコメディアンが1人で演じる喜劇。