| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2010年のファリノス | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
フランシスコ・ハビエル・ファリノス・サパタ Francisco Javier Farinós Zapata | |||||
ラテン文字 | Francisco Farinós | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1978年3月29日(46歳) | |||||
出身地 | バレンシア | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
![]() | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1997 |
![]() | 17 | (3) | |||
1996-2000 |
![]() | 115 | (10) | |||
2000-2005 |
![]() | 49 | (2) | |||
2003 |
→![]() | 22 | (2) | |||
2004-2005 |
→![]() | 29 | (3) | |||
2005-2006 |
![]() | 17 | (1) | |||
2006-2011 |
![]() | 146 | (22) | |||
2011-2012 |
![]() | 30 | (1) | |||
2012-2014 |
![]() | 11 | (1) | |||
通算 | 436 | (45) | ||||
代表歴 | ||||||
1993-1994 |
![]() | 12 | (1) | |||
1995-1996 |
![]() | 15 | (2) | |||
1997 |
![]() | 6 | (2) | |||
1998-2000 |
![]() | 11 | (3) | |||
1999-2000 |
![]() | 2 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランシスコ・ハビエル・ファリノス・サパタ(Francisco Javier Farinós Zapata, 1978年3月29日 - )は、スペイン・バレンシア出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
18歳の時に地元のバレンシアCFからデビューした。その後はエクトル・クーペル監督が率いたクラブに不可欠な選手となり[1]、1999年にはコパ・デル・レイとスーペルコパ・デ・エスパーニャを制した。1999-2000シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで決勝に進出したが、レアル・マドリードとの同国対決は0-3で敗れた。
2000年夏、セリエAのインテルに移籍したが、15カ月にもわたる負傷離脱などがあり、幸運に恵まれたとは言えなかった。2002年3月21日、UEFAカップ準々決勝でバレンシアCFと対戦し、エスタディオ・デ・メスタージャに帰還した。GKフランチェスコ・トルドがレッドカードを受けて退場すると、インテルは交代選手枠を使い果たしていたため、ファリノスがゴール前に立つことになったが、この試合は幸運にも1-0で勝利し、2試合合計2-1で勝ち抜けを決めた[2]。2004年夏に母国のRCDマジョルカにレンタル移籍し[3]、2005年夏に完全移籍したが、2005-06シーズンは17位に終わった。
2006年夏、セグンダ・ディビシオン(2部)のエルクレスCFに移籍した。エルクレスCFでは絶対的なレギュラーとなり、3シーズンの間にリーグ戦のみで15得点を奪った。2008-09シーズンは昇格に値する勝ち点78を稼いで4位になったが、3位のCDテネリフェに勝ち点3及ばずに昇格は逃した。2009-10シーズンはセグンダ・ディビシオンで34試合(3000分近く)に出場して6得点し、プリメーラ・ディビシオンへの昇格を助けた[4]。
2014年2月、右足のアキレス腱の怪我のため現役引退を表明した[5]。
1995年にはUEFA U-19欧州選手権で優勝した。1997年にはFIFAワールドユース選手権に出場している。1998年にはUEFA U-21欧州選手権で優勝した。1999年8月18日にワルシャワで行われたポーランドとの親善試合でスペイン代表デビューした。その後は1年間出場機会がなかったが、オランダとの親善試合で2キャップ目を刻んだ。