フランシスコ・フェルナンデス・デ・カピリャス Francisco Fernández de Capillas | |
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中国最初の殉教者 | |
教会 | カトリック教会 |
聖職 | |
司祭叙階 | 1632年 |
個人情報 | |
出生 |
1607年8月14日 スペイン帝国 パレンシア県 バケリン・デ・カンポス |
死去 |
1648年1月15日 清 福建省 福安 |
聖人 | |
記念日 | 1月15日 |
崇敬教派 | カトリック教会 |
列福 | 1909年5月2日 |
列聖 | 2000年10月1日 |
列聖決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
フランシスコ・フェルナンデス・デ・カピリャス(Francisco Fernández de Capillas、1607年8月14日 - 1648年1月15日)は、スペインのドミニコ会の司祭で、フィリピンと中国の宣教師。中国最初のキリスト教殉教者で、2000年10月1日、中国百二十聖人のひとりとして列聖された。
(Pedrosa (2006) pp.146-147 による)
カピリャスはパレンシア地方のバケリン・デ・カンポスで生まれ、バリャドリッドのドミニコ会に入会した。フィリピンのマニラで1632年司祭に叙階され、カガヤン州で布教した。同じドミニコ会のフランシスコ・ディアスとともに1641年に台湾、1642年3月に福建省に派遣された。ディアスは1646年11月4日に没したが、同じ日に清軍がカピリャスのいる福安に侵攻した。カピリャスは1647年11月13日に捕えられ、獄に入れられ、二日後の1648年1月15日に死刑になった。
1748年9月16日にベネディクトゥス14世がカピリャスを中国最初の殉教者と認めた。1909年5月2日にピウス10世によって列福された。
2000年10月1日、ヨハネ・パウロ2世は中国百二十聖人の最初のひとりとしてカピリャスを列聖した[1]。