フランシス・タッテグラン Francis Tattegrain | |
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生誕 |
1852年10月11日 フランス,ペロンヌ |
死没 |
1915年1月1日 フランス,アラス |
フランシス・タッテグラン(Francis Tattegrain、1852年10月11日 - 1915年1月1日)はフランスの写実主義の画家である[1]。
フランス北部、ソンム県のペロンヌに生まれた。18世紀終わりにペロンヌの市長を出した家系で、代々、法律家を務め、父親はアミアンの裁判所長であった。13歳の時、両親がパ=ド=カレー県の海岸の村、ベルク(Berck)に避暑のために別荘を建て、ベルクを訪れた画家のリュドヴィック=ナポレオン・ルピックに知り合った。兄のジョルジュ・タッテグランは彫刻家になり、兄やルピックは画家になることを勧めた。父親が法律家になることを、絵を学ぶ条件としたので、法律を学び、法律家の資格を得た。
1877年にアカデミー・ジュリアンに入学し、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルやギュスターヴ・ブーランジェに学んだ[2]。1879年からサロン・ド・パリに出展を始め、1914年まで出展を続けた。
ベルクにスタジオを構え、海岸で働く人々や、海の風景を描いた。パ=ド=カレー県で活動したアンリ・デュエム、マリー・デュエム夫妻らと親しく、この地域の代表的な景勝地の名をとった「ヴィッサン派」の画家の一人とされることがある。作品は絵葉書として出版された。アレクサンドル・デュマ・ペールやエドモン・ロスタンの書籍の挿絵も描いた。
1889年にレジオンドヌール勲章を受勲した[3]。