初代準男爵サー・フランシス・ダッシュウッド(英語: Sir Francis Dashwood, 1st Baronet、1658年頃 – 1724年11月4日)は、イギリスの商人、地主、政治家。ホイッグ党所属[1]。
商人フランシス・ダッシュウッド(Francis Dashwood、1683年没)とアリス・スレイ(Alice Sleigh)の末男として、1658年頃に生まれた[2]。父はサマセット出身でトルコ貿易をしており、フランシスも商人の道を歩みシルク貿易に関わったほか、1680年にはワイン商名誉組合に入った[1]。これにより財を成し、1690年3月に政府に1,000ポンドを貸与したほか、1698年には兄サミュエルと15,000ポンドずつ投資してウェスト・ウィコンブの領地を購入した[1]。
1702年10月にサミュエルがロンドン市長に就任すると[1]、フランシスも10月29日にアン女王により騎士爵に叙された[2]。
政界では1705年イングランド総選挙での選挙活動より関わりをはじめ、1707年6月28日には政府への支持により準男爵に叙された[1][2]。また、サミュエルの死後の1706年にその息子ジョージに15,000ポンドを支払ってウェスト・ウィコンブの領地を確保した[1]。このようにして地盤を固めたフランシスは1708年イギリス総選挙でウィンチェルシー選挙区から出馬し、無投票当選を果たした[1]。
政治観ではトーリー党所属の兄サミュエルと違いホイッグ党に属し、1710年にヘンリー・サシェヴェレルの弾劾に賛成票を投じたが、全体的には議会であまり活動的ではなかったという[1]。1710年イギリス総選挙ではトーリー党に対立候補を立てられるものの無事再選し、対立候補による選挙申し立ても1712年2月に却下された[1]。その後、1713年イギリス総選挙で立候補せず、政界から引退した[1]。
政界引退以降は領地管理に専念し、1720年頃にバッキンガムシャーのハルトンを購入した[1]。1724年11月4日にハノーヴァー・スクエアの自宅で死去[1]、ウェスト・ウィコンブで埋葬された[2]。息子フランシスが爵位を継承した[2]。死去時点の遺産は34,000ポンドに上り、また名望もあったため、息子フランシスは政界で出世し、ビュート伯爵内閣で財務大臣を務めることとなった[1]。
1683年4月13日、メアリー・ジェニングス(Mary Jennyngs、1665年頃 – 1695年以前、ジョン・ジェニングスの娘)と結婚、1男2女をもうけた[1][2]。
1705年5月30日、メアリー・フェイン(Mary Fane、1675年頃 – 1710年8月19日、第4代ウェストモーランド伯爵ヴィアー・フェインの娘)と再婚[2]、1男1女をもうけた[1]。
1712年6月17日、メアリー・キング(Mary King、1719年没、おそらくチャールズ・キングの娘)と再婚、2男2女をもうけた[1][2]。
1720年7月21日、エリザベス・ウィンザー(Elizabeth Windsor、1736年10月16日没、初代プリマス伯爵トマス・ヒックマン=ウィンザーの娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ジョージ・ドディントン ジェームズ・ヘイズ |
庶民院議員(ウィンチェルシー選挙区選出) 1708年 – 1713年 同職:ジョージ・ドディントン 1708年 ロバート・ブリストー 1708年 – 1713年 |
次代 ロバート・ブリストー ジョージ・ドディントン |
グレートブリテンの準男爵 | ||
爵位創設 | (ウェスト・ウィコンブの)準男爵 1707年 – 1724年 |
次代 フランシス・ダッシュウッド |