フランツ・ザレス・マイヤー(Franz Sales Meyer、1849年12月9日 – 1927年11月6日)は、ドイツの産業工芸家。50年近くカールスルーエで教職を務め[1]、『オーナメント・ハンドブック』、『アマチュア芸術ハンドブック』などを著した。
1849年12月9日、バーデン大公国ケンツィンゲン(現バーデン=ヴュルテンベルク州の一部)で生まれた[2]。1867年よりメーアスブルクの師範学校に通った後、カールスルーエ工科大学に進学した[2]。1871年に卒業してすぐにカールスルーエの大公国立貿易会館(Großherzoglichen Landesgewerbehalle)に就職して教師になり、1873年にカールスルーエ工芸学校が設立すると工芸学校の教頭になった[1]。1879年11月1日に装飾(Ornamentik)の教授に昇進した[1]。このほか、カールスルーエ建築学校の教師も務めた[1]。
カールスルーエ工芸学校の教師として名声を得て、バルやカッセルの学校、さらにバーデン大公国内務省からの招聘があったが、すべて辞退してカールスルーエに留まった[1]。
1885年3月6日にケンツィンゲンの、1915年にメーアスブルクの名誉市民に選出された[3]。
1919年に退職して趣味の音楽や水彩画に没頭し、1927年11月6日に死去した[1]。
1870年代に幼馴染のマリア・カロリーナ・ヴァイセルト(Maria Karolina Weissert、1915年没)と結婚して、娘マリア・マルガレーテ(Maria Margarete)と息子マックス・マンフレート(Max Manfred)をもうけた[1]。