フランツ・ベンデル Franz Bendel | |
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生誕 |
1833年3月23日![]() |
死没 | 1874年7月3日(41歳没) |
ジャンル | クラシック |
職業 | ピアニスト、作曲家 |
フランツ・ベンデル(Franz Bendel, 1833年3月23日 - 1874年7月3日)は、ドイツのピアニスト、作曲家。ボヘミア系。
ベンデルはオーストリア帝国、ボヘミアのカラースナー・リーパに生まれた。教師をしていた父の指導を受けた後、ヨゼフ・プロクシュの下で研鑽を積む。ヴァイマルでは5年間フランツ・リストの薫陶を受けている。ヴァイマルではヴェンデリン・ヴァイスハイマーにも会っている。1848年に、ベンデルはオットー・フォン・ヴェストファール伯爵(Otto von Westphal)の家庭教師、並びに音楽教師となり、14年間にわたってこれを務めた。1855年には、師であるプロクシュがベンデルのミサ曲を演奏している。テオドール・クラクの音楽学校、新音楽アカデミー(Neue Akademie der Tonkunst)で教鞭を執った。1863年にはプラハに演奏旅行を行い、これは誌上で称賛を受けた。
作曲家としてのベンデルは、4つのミサ曲、交響曲、1曲のピアノ協奏曲などの大規模楽曲と共に、多くのサロン風のピアノ小品、歌曲など、400曲を超える楽曲を作曲した。優れたピアニストであったベンデルは、アメリカのボストンを演奏旅行していたが、その途中に腸チフスにより命を落とした。41歳であった。
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