フランツ・レオポルト・フォン・ナーダシュディ・アウフ・フォガラス | |
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ナーダシュディの肖像画、1857年作 | |
生誕 | 1708年9月30日 神聖ローマ帝国 / ハプスブルク帝国 シュタイアーマルク公国、ラトケルスブルク |
死没 | 1783年3月22日 (74歳没) ハプスブルク帝国 軍政国境地帯、カールシュタット |
所属組織 | ハプスブルク帝国 |
部門 | 騎兵 |
最終階級 | 元帥 |
フランツ・レオポルト・フォン・ナーダシュディ・アウフ・フォガラス(ドイツ語: Franz Leopold von Nádasdy auf Fogaras、1708年9月30日 - 1783年3月22日)は、オーストリアの元帥、およびクロアチアのバン[1]。
フランツ・レオポルト・フォン・ナーダシュディ・アウフ・フォガラスは1708年9月30日、ラトケルスブルクで生まれる。ハンガリー貴族の家系であり[2]、1717年に死去した父フェレンツの伯爵位を継いだ。
1727年に軍隊に入隊した後、オーストリア継承戦争に参戦してゾーアの戦いなどに参加した。1756年にクロアチアのバンに任命された後、七年戦争にも参戦し、コリンの戦いでの戦功によりマリア・テレジア軍事勲章を授かる。続くモイスの戦いでも勝利した。
1783年、バン在職のままカールシュタット(現クロアチア領カルロヴァツ)で死去した。
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