フリオ・ルエラス Julio Ruelas | |
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自画像 | |
生誕 |
1870年1月21日[1] メキシコ、サカテカス |
死没 |
1907年9月16日[1] フランス、パリ |
フリオ・ルエラス(Julio Ruelas、1870年1月21日 – 1907年9月16日)はメキシコのイラストレーター、画家である。1898年に創刊されたメキシコの文芸雑誌「Revista Moderna(現代雑誌)」の主任イラストレーターになり、メキシコの象徴主義の芸術家と交流した。
メキシコ中部のサカテカスに生まれた。父親は政治家で、1867年から1872年の間大統領を務めた、ベニート・フアレスの支援者で[2]、ポルフィリオ・ディアス大統領(在位:1881年-1911年)時代には外務大臣を務めた人物である[3] 。父親の仕事のために1876年からメキシコ・シティで育った。
メキシコシティの美術学校、アカデミア・デ・サン・カルロス(Academia de San Carlos)で学んだ後、1891年に奨学金を得てドイツに渡り、 カールスルーエに留学した。ドイツでは象徴主義の画家、アルノルト・ベックリンやフェリシアン・ロップスの作品から影響を受けた[4]。スペイン、バレンシアの王立サン・カルロス・アカデミー(Real Academia de Bellas Artes de San Carlos)でも学んだ。
1895年にメキシコに帰国し、メキシコシティの母校で教え、メキシコの画家たちと交流した。1898年に文芸雑誌「Revista Moderna(現代雑誌)」の共同創立者になり、主任イラストレーターを務めた。この雑誌は、多くのメキシコのモダニズムの画家の作品を掲載し、1903年まで刊行された。
1903年にパリに移るが、3年後結核で没し、パリに埋葬された。37歳であった。