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名前 | ||||||
本名 | Frédéric Hantz | |||||
カタカナ | フレデリック・アンツ | |||||
ラテン文字 | Frédéric HANTZ | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1966年3月30日(58歳) | |||||
出身地 | ロデーズ | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1980-1982 | ロデーズ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1982-1987 | ロデーズ | 61 | (2) | |||
1987-1988 | オーリヤック | |||||
1988-1989 | クレルモン | 25 | (2) | |||
1989-1992 | イストル | 86 | (9) | |||
1992-1993 | メス | 28 | (0) | |||
1993-1996 | ニース | 71 | (5) | |||
1995-1997 | シャモア・ニオール | 25 | (2) | |||
1997-1998 | ロデーズ | 22 | (2) | |||
通算 | 318 | (22) | ||||
監督歴 | ||||||
1998-2001 | ロデーズ | |||||
2002-2004 | ブリーヴ | |||||
2004-2007 | ル・マン | |||||
2007 | ソショー | |||||
2008-2009 | ル・アーヴル | |||||
2010-2014 | バスティア | |||||
2016-2017 | モンペリエ | |||||
2017-2018 | メス | |||||
2020 | アル・ホール | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フレデリック・アンツ(Frédéric Hantz, 1966年3月30日 - )は、フランス・ロデーズ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
現役時代はFCイストル、FCメス、OGCニースなどでプレー。引退後は生まれ故郷でもあり、選手としても所属したロデーズAFにて、32歳の若さで監督としてのキャリアをスタートさせた。
2004年12月、当時リーグ・ドゥ(2部)に所属していたル・マンUCの監督に就任すると、同シーズンに昇格へと導く。リーグ・アンでもその手腕は発揮され、昇格間もないル・マンを一時はUEFAカップ出場枠圏内を争うまで順位を押し上げ、その結果リーグ最優秀監督候補にもノミネートされた。
2006-2007シーズン、2シーズン続けてル・マンを中位に留まらせた実力が評価され、シーズン終了後FCソショーの監督に就任したが、2007年12月、成績不振により解任された。
練習にダンスを取り入れる、試合と同時刻の夜間に練習するなど、従来の発想に囚われないユニークな指導法が彼の特徴である。選手に対して時に辛辣なコメントを放ち、さらには下部リーグでプレーさせる等厳しさを見せるが、松井大輔がル・マン残留の条件として彼の続投を挙げるなど、選手からの信頼も大きいことが窺い知れる。
2008年12月ル・アーヴルACの監督に就任。2010年からはSCバスティアで指揮をとっていたが、2014年をもって退任。2016年1月26日、モンペリエHSCの指揮官の座に就いた[1]。