ブディオノ Boediono | |
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2009年のブディオノ | |
生年月日 | 1943年2月25日(81歳) |
出生地 | 日本占領時期のインドネシア、ブリタール |
出身校 |
ガジャ・マダ大学 西オーストラリア大学 モナシュ大学 ペンシルベニア大学(ウォートン・スクール) |
現職 | 政治家、経済学者 |
所属政党 | 無所属 |
配偶者 | ヘラワティ |
サイン | |
在任期間 | 2009年10月20日 - 2014年10月20日 |
大統領 | スシロ・バンバン・ユドヨノ |
インドネシア銀行第13代総裁 | |
在任期間 | 2008年5月22日 - 2009年5月16日 |
大統領 | スシロ・バンバン・ユドヨノ |
在任期間 | 2005年12月5日 - 2008年5月22日 |
大統領 | スシロ・バンバン・ユドヨノ |
在任期間 | 2001年8月9日 - 2004年10月20日 |
大統領 | メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ |
在任期間 | 1998年5月23日 - 1999年10月20日 |
大統領 | ユスフ・ハビビ |
ブディオノ(インドネシア語: Boediono, 1943年2月25日 - )は、インドネシアの政治家、経済学者。同国第11代副大統領、インドネシア銀行第13代総裁、第12代経済担当調整大臣、第24代財務大臣、第8代国家開発企画庁長官を務めた。
1943年2月25日に日本占領時期のインドネシア、ブリタールにて誕生する。東ジャワ州ブリタールの小学校で教育を受ける。1960年代初頭、ジョグジャカルタ市のガジャ・マダ大学で学び始め、奨学金を得てパースの西オーストラリア大学で学ぶ。
1967年に西オーストラリア大学を経済学の学位で卒業し、メルボルンのモナシュ大学で経済学の修士号を取得するための研究を続け、1972年に修了した。その後、ペンシルベニア大学ウォートン・スクールで博士号を取得するための研究を続け、1979年に修了した[1]。また、1970年代初頭にはオーストラリア国立大学のインドネシア・プロジェクトで経済学の研究助手として働いた。
1997年から1998年までインドネシア銀行副総裁として財政金融政策を担当し、1998年5月23日から1999年10月20日まで第8代国家開発企画庁長官を務めた。2001年にアブドゥルラフマン・ワヒドが大統領から解任されると、メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ大統領はボエディオノを新政権の財務大臣に任命した。ブディオノのリーダーシップの下、2002年の経済成長率は4%であった[2]。スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、2005年の最初の内閣改造で、アブリザル・バクリの後任としてブディオノを経済調整大臣に任命した。
2008年、人民代表委員会はブディオノをインドネシア銀行総裁に選出した[3]。2009年の大統領選挙でユドヨノが副大統領候補に選んだ後にブディオノは総裁を辞任[4]、10月20日にモハマッド・ユスフ・カラの後任として第11代副大統領に就任し、2014年10月20日まで務めた。
ブディオノはガジャ・マダ大学の経済学教授でもあり、1970年代初頭からマクロ経済学と金融政策に関するさまざまな講義を行ってきた。