ブラッド・ケセロウスキー | |||||||
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2024年 | |||||||
生誕 | Bradley Aaron Keselowski 1984年2月12日(40歳) アメリカ合衆国ミシガン州 | ||||||
業績 | 2012 ナスカー スプリントカップ・シリーズ チャンピオン 2010 ナスカー ネイションワイド・シリーズ チャンピオン 2009 Aaron's 499 勝者 | ||||||
表彰 | 2008, 2009, 2010 Nationwide Series Most Popular Driver 2023 NASCAR's 75 Greatest Drivers | ||||||
モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズでの経歴 | |||||||
17年の間545レース出場 | |||||||
車番-チーム | No. 6 (ラウシュ・フェンウェイ・レーシング) | ||||||
2023年の順位 | 8位 | ||||||
最高位 | 1位 (2012) | ||||||
初戦 | 2008 Dickies 500 (テキサス) | ||||||
最終戦 | 2018 O'Reilly Auto Parts 500 (テキサス) | ||||||
初勝利 | 2009 Aaron's 499 | ||||||
最終勝利 | 2024年 グッドイヤー400 | ||||||
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NASCARエクスフィニティ・シリーズでの経歴 | |||||||
11年の間250レース出場 | |||||||
車番-チーム | No. 22 (ペンスキー・レーシング) | ||||||
2017年の順位 | 90th | ||||||
最高位 | 1st (2010) | ||||||
初戦 | 2006 Ameriquest 300 (オートクラブ) | ||||||
最終戦 | 2018 DC Solar 200 (フェニックス) | ||||||
初勝利 | 2008 Federated Auto Parts 300 (Nashville) | ||||||
最終勝利 | 2018 DC Solar 200 (フェニックス) | ||||||
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NASCARガンダー・アウトドアーズ・トラック・シリーズでの経歴 | |||||||
11年の間65レース出場 | |||||||
2015年の順位 | 90th | ||||||
最高位 | 21st (2005) | ||||||
初戦 | 2004 Kroger 250 (マーティンズビル) | ||||||
最終戦 | 2015 Pocono Mountains 150 (ポコノ) | ||||||
初勝利 | 2014 UNOH 200 (ブリストル) | ||||||
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april 14, 2018現在。 |
ブラッド・ケセロウスキー(Bradley Aaron Keselowski 1984年2月12日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州ロチェスターヒルズ出身のNASCARドライバー。現在は、ラウシュ・フェンウェイ・レーシングからNASCARカップ・シリーズにフル参戦しており、チームの副オーナーとしても関わっている。
2004年、20歳でNASCARクラフツマン・トラック・シリーズ(現キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にスポット参戦、第3戦マーティンズビルよりNASCARドライバーとしてのキャリアをスタートする。
2005年にはクラフツマン・トラック・シリーズにフル参戦。翌年以降は主戦場を上位カテゴリに移し、トラックシリーズには不定期にスポット参戦を続けるものの、2014年に1勝したのみであった。
2007年、キース・コールマン・レーシングよりカーナンバー23でネイションワイド・シリーズ(現エクスフィニティ・シリーズ)にフル参戦をするが、開幕戦デイトナ500は予選不通過(DNQ)、その後もクラッシュやエンジントラブルなどに見舞われ、トップ10フィニッシュ0回と不振が続いたため、第15戦ナッシュビルを最後にチームを離脱。後にJRモータースポーツに移籍し、カーナンバー88で第20戦シカゴランドよりシリーズ復帰する。復帰後の14レースでトップ10フィニッシュ5回とまずまずの成績を残した。
2008年も引き続きJRモータースポーツよりネイションワイド・シリーズに参戦。第15戦ナッシュビルにてNASCARキャリア初となる勝利を挙げる。後の第26戦ブリストルでも勝利し、年間2勝を挙げる。同年はヘンドリック・モータースポーツよりカーナンバー25で最上位カテゴリのスプリントカップ・シリーズに2戦スポット参戦し、第34戦フォートワース、第36戦ホームステッド=マイアミで完走する。
2009年はヘンドリック・モータースポーツ(#25)とフェニックス・レーシング(#9)から交互に参戦。フェニックス・レーシングから参戦した第9戦タラデガにてカップ戦初勝利を飾る。第34戦からは チーム・ペンスキー(ダッジ)に移籍。
2010年、引き続きチーム・ペンスキーよりカーナンバー12でスプリントカップ・シリーズに参戦するが、年間0勝、トップ10フィニッシュ2回と今一つな内容であった。一方でネイションワイド・シリーズでは6勝を挙げ、13勝のカイル・ブッシュ相手にポイントスタンディングで競り勝ち、シリーズチャンピオンを獲得した。
2011年、カーナンバーを2に変更。シーズン序盤は今一つであったが徐々に調子を上げ、第13戦カンザスでシーズン初勝利を挙げる。この年は第21戦ポコノ、第24戦ブリストルを制し3勝、トップ5フィニッシュ10回、トップ10フィニッシュ14回、シリーズランキング5位でシーズンを終了した。
2012年は第4戦ブリストルを初めとして年間5勝を挙げ、初のカップ戦シリーズチャンピオンを獲得した。
2014年は第3戦ラスベガス初めとしてキャリア最多の年間6勝を挙げたものの、最終戦ホームステッド=マイアミで年間5勝目を挙げたケヴィン・ハーヴィックにシリーズチャンピオンの座を奪われた。
2015年はトップ10フィニッシュ25回でありながら年間1勝にとどまり、チェイス進出を果たしたもののシリーズチャンピオンはカイル・ブッシュのものとなった。
2016年はレギュラーシーズンで4勝を挙げ、難なくチェイス進出を果たしたものの、コンテンダー・ラウンドの第31戦カンザスではデニー・ハムリンと接触しクラッシュ、第32戦タラデガでは首位を走りながらデブリー付着が原因のオーバーヒートに見舞われ38位フィニッシュと最悪な結果となり、エリミネーター・ラウンドへ進出できずシリーズチャンピオンシップ敗退となった。
年 | チーム | 車種 | スタート | フィニッシュ |
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2009 | Phoenix Racing | シボレー | 棄権 | |
2010 | Penske Championship Racing | ダッジ | 26 | 36 |
2011 | ペンスキー・レーシング | 16 | 29 | |
2012 | 23 | 32 | ||
2013 | フォード | 15 | 4 | |
2014 | 33 | 3 | ||
2015 | 39 | 41 | ||
2016 | 25 | 20 | ||
2017 | 7 | 27 |
* Season still in progress
1 Ineligible for series points
(key) (Bold – Pole position awarded by qualifying time. Italics – Pole position earned by points standings or practice time. * – Most laps led.)
ARCA Re/Max Series results | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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年 | チーム | ナンバー | 車種 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | ARSC | Pts | Ref | |||||||||||||||
2004 | Mark Gibson | 56 | シボレー | DAY | NSH | SLM | KEN 32 |
TOL | 121st | 180 | [1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||
Wayne Peterson | 6 | Chevy | CLT 24 |
KAN | POC | MCH | SBO | BLN | KEN | GTW | POC | LER | NSH | ISF | TOL | DSF | CHI | SLM | TAL | |||||||||||||||||||||||||
2006 | John Conely | 97 | Chevy | DAY | NSH | SLM | WIN | KEN | TOL | POC | MCH 17 |
KAN | KEN | BLN | POC | GTW | NSH | MCH | ISF | MIL | TOL | DSF | CHI | SLM | TAL | IOW | 121st | 145 | [2] |
2014年シーズンの第31戦シャーロットでは、クールダウンラップ中にデニー・ハムリンに対してあからさまな報復の体当たりをした。続いてマット・ケンゼスに対しても同様に体当たりをし、近くにいたトニー・スチュワートに追突したところで停止。スチュワートはすかさずバックギアに入れてケセロウスキーに体当たりの報復をし返した。その後、ピットレーンで激昂したハムリンはケセロウスキーのピットボックスに向かおうとするが、チームクルーに制止される。ケセロウスキーはトレーラーの方へ逃げていくが、同じく激昂したケンゼスに背後より殴り掛かられた[3]。この一件でNASCARからケセロウスキーに対し5万ドル、スチュワートに対し2万5千ドルの罰金が科せられた。
同年第34戦テキサス終了後、ピットレーンでジェフ・ゴードンとレース中の接触について口論を起こしていたところ、ケヴィン・ハーヴィックが突如ケセロウスキーを背後から突き飛ばし、これをきっかけに大乱闘が起こる騒ぎとなった[4]。
このように、悪童っぷりを見せつけるエピソードに事欠かないケセロウスキーであるが、2017年第14戦ポコノでライアン・ブレイニーがカップ戦初勝利した際に自らインタビュアー役を買って出る[5][6]など、ユーモアを見せる一面もある。なお、ライアン・ブレイニーはキャンピング・ワールド・トラック・シリーズで2012年から2015年までブラッド・ケセロウスキー・レーシングに所属しており、ケセロウスキーとはいわば師弟関係にある。