ブリックハウス・ブラウン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ブリックハウス・ブラウン ロナルド・ブラウン |
本名 | フレデリック・シーライト |
ニックネーム | ザ・ブラック・プリンス |
身長 | 178cm |
体重 | 95kg - 100kg |
誕生日 | 1960年8月11日 |
死亡日 | 2018年7月29日(57歳没)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 デラウェア州 ウィルミントン |
トレーナー | エディ・グラハム |
デビュー | 1982年 |
ブリックハウス・ブラウン(Ronald "Brickhouse" Brown、本名:Frederick Seawright、1960年8月11日 - 2018年7月29日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。デラウェア州ウィルミントン出身のアフリカ系アメリカ人。
ザ・ブラック・プリンス(The Black Prince)の異名を持つ黒人ベビーフェイスとして、アメリカ南部を主戦場に活動した[2]。
NWAフロリダ地区のプロモーターだったエディ・グラハムのトレーニングのもと、1982年にデビュー[2]。フロリダでは1984年下期よりアイスマン・キング・パーソンズとの黒人タッグチームで活動、チャボ&ヘクターのロス・ゲレロスと抗争した。1985年はアラバマにてノーベル・オースチンと新コンビを結成、9月30日にNWAサウスイースタン・タッグ王座を獲得した[3]。
1986年にはWWFに出場し、ハーリー・レイス、カウボーイ・ボブ・オートン、アイアン・シーク、ハーキュリーズ、ビッグ・ジョン・スタッド、キングコング・バンディなどの大物ヒールのジョバーを務める一方、ジェリー・バリアント、ムーンドッグ・レックス、タイガー・チャン・リー、レス・ソントン、テリー・ギッブスなど、ヒール陣営のジョバーから勝利を収めている[4][5]。
1987年よりテネシー州メンフィスのCWAに参戦、7月6日にジェリー・ローラーを破り、AWA南部ヘビー級王座を獲得[6]。CWAではビル・ダンディーやジェフ・ジャレット、スコッティ・ザ・ボディとも対戦した[7][8]。また、当時CWAと提携していたAWAやテキサス州ダラスのWCWA(WCCW)の興行にも出場、1989年2月3日にはフロリダ時代のパートナーだったキング・パーソンズからWCWA認定のテキサス・ヘビー級王座を奪取している[9]。
以後、CWAとWCWAの合併で設立されたUSWAに定着。1990年10月8日には、空位となっていたUSWA統一世界ヘビー級王座の争奪トーナメント(決勝でオースチン・アイドルを破ったジェリー・ローラーが戴冠)に出場したが、一回戦でテリー・ファンクに敗退した[10]。以降も1990年代後半までUSWAを主戦場とし、USWA世界タッグ王座を通算3回に渡って獲得、1996年にはフレックス・カバーナと名乗っていた頃のドウェイン・ジョンソンやザ・ムーンドッグスを相手に同王座を争った[11]。セミリタイア後の2000年代からは、メンフィス・レスリングやNWAレッスル・バーミングハムなど南部のインディー団体に出場していた[2]。
2018年7月20日に膀胱癌で死亡したというニュースが流れ、翌日には家族からカリフラワー・アレイ・クラブ会長のブライアン・ブレアーに無事であるとの連絡が入ったが、その後容態が悪化[12]。同年7月29日、57歳で死去[13]。