USS ブルーバック | |
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基本情報 | |
建造所 | エレクトリック・ボート造船所 |
運用者 | アメリカ海軍 |
艦種 | 攻撃型潜水艦 (SS) |
級名 | バラオ級潜水艦 |
艦歴 | |
起工 | 1943年7月29日 |
進水 | 1944年5月7日 |
就役 | 1944年8月28日 |
退役 | 1948年5月23日 |
除籍 | 1948年5月28日 |
その後 | 1948年5月23日、トルコ海軍へ転籍。 |
要目 | |
水上排水量 | 1,526 トン |
水中排水量 | 2,424 トン |
全長 | 311フィート9インチ (95.02 m) |
水線長 | 307フィート (93.6 m) |
最大幅 | 27フィート3インチ (8.31 m) |
吃水 | 16フィート10インチ (5.1 m) |
主機 | ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基 |
電源 | ゼネラル・エレクトリック製発電機×2基 |
出力 | 5,400馬力 (4.0 MW) |
電力 | 2,740馬力 (2.0 MW) |
最大速力 |
水上:20.25ノット 水中:8.75ノット |
航続距離 | 11,000海里/10ノット時 |
航海日数 | 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間 |
潜航深度 | 試験時:400フィート (120 m) |
乗員 | 士官6名、兵員60名 |
兵装 |
ブルーバック (USS Blueback, SS-326) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名は漠然と「青い背」を意味し、多種多様な魚の修飾語・通称である。アメリカ公文書は、ギンザケやベニザケの通称を示唆している。
ブルーバックは1943年7月29日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工した。1944年5月7日にウィリアム・ブレント・ヤング少将の夫人によって命名、進水し、8月28日に艦長メリル・K・クレメントン少佐(アナポリス1933年組)の指揮下就役する。ブルーバックは11月21日に真珠湾に到着した。
12月16日[3]、ブルーバックは最初の哨戒で東シナ海、南西諸島方面[4]および南シナ海に向かった。しかし、この哨戒では戦果を挙げることはなかった。1945年2月15日、ブルーバックは61日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[5]。
3月4日[6]、ブルーバックは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。この哨戒では、インドシナ半島沖で3月12日[7]、3月22日[8]、3月30日[9]の3度にわたって日本のスクーナー群を退治した。4月17日、ブルーバックは44日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[10]。
5月12日、ブルーバックは3回目の哨戒でジャワ海方面に向かった[11]。5月21日と28日、6月3日にジャワ島沿岸部で漁船やスクーナーを撃ち沈めたほか[12]、6月27日には南緯07度25分 東経116度00分 / 南緯7.417度 東経116.000度のロンボク海峡北方で第2号駆潜艇を撃沈。7月9日と15日にも小船を砲撃で撃沈した[13]。7月20日、ブルーバックは62日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。
戦争が終わると、ブルーバックはスービック湾を出航し、9月4日にグアムアプラ港に到着、11月28日まで訓練演習に従事した。その後、カロリン諸島およびアドミラルティ諸島への巡航後、12月15日にグアム島に帰還する。1946年1月12日にカリフォルニア州サンディエゴに向けて出航、サンディエゴ到着後から8月26日まで西海岸に留まった。続いて極東への巡航を行い、真珠湾、トラック諸島、スービック湾、青島および上海を訪問し、11月29日にサンディエゴに帰還した。1947年2月17日から4月4日まで再び真珠湾へ巡航し、その後カリフォルニア州沖合で沿岸作戦活動および定期訓練を1948年3月まで継続した。
ブルーバックは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。
TCG イキンジ・イノニュ | |
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基本情報 | |
運用者 | トルコ海軍 |
艦歴 | |
就役 | 1948年5月25日 |
退役 | 1973年11月30日 |
その後 | アメリカへ移送後、解体処分。 |
要目 |
1948年3月4日にブルーバックは西海岸を出航し、ニューロンドンを経由して地中海に向かった。1948年5月11日にトルコのイズミルに到着し、5月23日に退役、トルコ海軍に移管された。ブルーバックはイキンジ・イノニュ (TCG 2. İnönü, S 331) と改名された。艦名はトルコ革命における第二次イノニュの戦いに因んだもので、その名を持つ艦としては2隻目であった。