『ブロンディ』(Blondie)は、ミュラ・バーナード・チック・ヤング(Murat Bernard "Chic" Young、1901年 - 1973年)によるアメリカ合衆国の新聞連載漫画。ブロンディとダグウッドの日常を描く。1930年から連載が開始された。
チック・ヤングの死後は息子のディーン・ヤング(Dean Young、1938年 - )が中心となって連載が継続され、2017年現在はディーンと、2005年から作品に参加したジョン・マーシャル(John Marshall)によって執筆されている。
日本では、1933年2月12日から6月3日に『国民新聞』に掲載(タイトル「気まぐれブロディ」)されているほか、1933年2月12日から6月3日に『国民新聞』に掲載(タイトル「気まぐれブロディ」)されているほか、第二次世界大戦後に連合国軍総司令部の意向を受け、1946年から1956年に『週刊朝日』に、1949年1月1日から1951年4月15日に『朝日新聞』朝刊[1]に掲載された。新聞連載終了後は文藝春秋『漫画讀本』で連載されている。
この連載を読んで「家電製品にかこまれた豊かで民主的なアメリカ人生活」を思い描いた日本人読者もいた[1]。連載を行っていた朝日新聞の天声人語欄ですら「家計の苦労という場面は一度も出てこない」として驚きと羨望をもって迎えている[2]。 しかしながら、本作研究の代表者であり先駆者でもある今村太平によると本作で描かれているバムステッド家は標準的なアメリカ市民の家庭であり、毎日あくせく働いても存分に肉を食うことはできず、子供に小遣いを与えたり新しく帽子を購入するにも頭を悩まし、電気の使用を節約し、たまの外食にも渋るような賃金奴隷としての俸給生活者としての生活であり、けして豊かな生活を描いているわけではなかった[1]。
それでも連載開始当時に獅子文六が「日本の最大の富豪でもブロンディ家だけの設備を持つ家はない」と述べたように電気冷蔵庫、電気洗濯機、電気掃除機といったように家にあふれる「もの」、ダグウッドが両腕いっぱいの食べ物から作るサンドイッチ(ダグウッドサンドイッチ)を食べる模様など、連載開始当時の日本人にとっては「憧れのアメリカ生活であった」と思われる[1]。井出孫六は、1946年当時は「空腹をかかえた日本人にとってブロンディとタグウッドの家庭は高嶺の花に見えた」と指摘する[1]。ただ日本の食糧事情は1947年には急速に改善している。
坂西志保は本作の哲学を「疲労」にあると述べる[1]。一例としてダグウッドの望みは早く家に帰り、熱い風呂で一日の垢を流して美味しい食事を採って、やわらかいベッドで寝ることにある[1]。資本主義社会における労働者の悲哀を前提とし、社会の対極としての労働の疲れを癒す家庭の機能面を坂西は指摘する[1]。
1957年の1月から7月、アメリカのNBC系ネットワークで30分枠のテレビドラマ版が放送された。ハル・ローチ・スタジオ制作、モノクロ、全26話。
日本では1962年4月23日から10月15日にかけてフジテレビ系列で放映された。松下電器産業(のちのパナソニック)の一社提供。
フジテレビ系列 月曜19:00 - 19:30枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
1968年から1969年にかけ、CBS系ネットワークで再びテレビドラマ化された。全14話。
1987年にはマーベル・プロダクションと東映アニメーションとの共同により『Blondie & Dagwood』のタイトルでテレビアニメ化もされた。ブロンディの声はロニ・アンダーソン。全2話。
日本では本国の放送から5年後の1993年にNHK-BSの衛星アニメ劇場内で放映されたが視聴率は極めて低かった。
1983年頃はニチイグループ(後のマイカル/現:イオンリテール)のプライベートブランド『エーゼット』のCMイメージキャラクターや1980年代後半は東芝食器洗浄機『あらおーっと』のCMのイメージキャラクターとして使われたほか、1991年頃には三菱電機・IHクッキングヒーター搭載型オーブンレンジのイメージキャラクター、1992年発売のトヨタ・カローラセレス(前期型)のイメージキャラクターとしても使われた。