任務種別 | ミール の補給 |
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運用者 | ロシア連邦宇宙局 |
COSPAR ID | 1998-062A |
SATCAT № | 25512 |
任務期間 | 103日6時間55分間 |
周回数 | 1624回 |
特性 | |
宇宙機種別 | プログレス-M (11F615A55) |
製造者 | RKKエネルギア |
打ち上げ時重量 | 7180 kg |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1998年10月25日 |
ロケット | ソユーズ-U |
打上げ場所 | バイコヌール 1/5発射台 |
任務終了 | |
廃棄種別 | 軌道離脱 |
減衰日 | 1999年2月5日 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
離心率 | 0.00348 |
近点高度 | 194km |
遠点高度 | 238km |
傾斜角 | 51.6° |
軌道周期 | 88.6分 |
ミールのドッキング(捕捉) | |
ドッキング | クバント1 |
ドッキング(捕捉)日 | 1998年10月28日 |
分離日 | 1999年2月4日 |
プログレスM-40(ロシア語: Прогресс М-40)はロシア連邦が1998年にミール宇宙ステーションの補給のために打ち上げた無人宇宙補給機プログレス補給船。シリアル番号は239番だった[1]。
輸送船としての運用後、薄い反射鏡を利用して地上を照らす"ズナーミャ2.5"計画を実行する予定であったが、問題が発生したため実行しないまま運用が終了された。
1998年10月25日7時14分57秒 (MSK、UTC4時14分57秒)、バイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。
1998年10月28日2時3分24秒 (MSK、UTC27日23時3分24秒)、宇宙ステーションミールのクバント-1のドッキングポートにドッキングした。ランデブーとドッキングは自動操縦で行われた。
1999年2月4日12時59分32秒(MSK、UTC9時59分32秒)、ミールとのドッキングを解除し自由飛行に移った。ミールとプログレスの分離前、宇宙飛行士がドッキング部に貨物船の離脱後展開されるズナーミャ-2.5の大規模な箔反射鏡の装置を取り付けられている。
2500kgを越える貨物、燃料、酸素などの気体、クルー用保護具、クルー向け配達品などを搭載していた。
初めてフランスの科学機器で行われるフラッグマン実験用の操作機材機器の輸送も行われた。この機材はフランスの宇宙飛行士ジャン=ピエール・エニュレの4ヶ月間の飛行中の実験のために設計されたものだった。
合計の貨物重量は2551,9kgだった[2]。
ズナーミャ-2.5(Знамя-2,5)と呼ばれる科学実験を行う予定であった。実験の目的は地表に日光を反射して照らす場所を作ることであった。プログレスのドッキング部に直径25mの箔反射鏡膜とその展開装置が取り付けられた。プログレスの反射鏡の展開は2月4日のミールからのドッキング解除から1時間半後に行われた[3]。実験は約24時間にわたって行われる予定であった。この間ミールとプログレスは地球を16周する予定であった。
しかし実験はプログレスの自動運行プログラムのエラーでアンテナ開口部の閉塞の指令がされず、その結果クルスの開いた反射アンテナに反射鏡がはさまった。プログレスの軌道からの通常の降下を妨げる可能性があったため、計画していた地表定義箇所のプログレスの反射鏡による照射はできず計画は失敗した[4]。
実験が成功していた場合、結果は専門家だけでなく一般市民も観測することができたとされる[5]。