![]() | このページ名「ヘルマン・ソヨー」は暫定的なものです。(2016年4月) |
ヘルマン・ソヨー(Hermann Soyaux、1852年1月4日 - 1928年)はドイツの植物学者、探検家である。西アフリカを探検し、ドイツの殖民活動にかかわった。
現在のポーランドのヴロツワフで生まれた。園芸商で働いた後、ベルリンで植物学を学んだ。ドイツ・アフリカ協会(Deutsch Afrikanischen Gesellschaft)が資金を出して行われたパウル・ギュスフェルト(Paul Güssfeldt)のロアンゴ王国(コンゴにあった王国)の探検隊のメンバーに植物学者として選ばれた。1873年に行われた探検は上陸前に Tschinschoscho(現在のカビンダ)で船が難破し、内陸の探検は行えなかった。1875年にソヨーはアンゴラへ向かうことを命じられ、別の探検隊のパウル・ポッゲ(Paul Pogge)と合流した。ギュスフェルトの探検は後に、軍医のユリウス・ファルケンシュタインらが参加して、生きたゴリラを連れ帰るなどの成果を挙げた。
ギュスフェルトの探検が中止されるとヨーロッパに戻った後、『失われた地域』("Der verlorene Weltteil"、Berlin 1876)や『西アフリカから』 ("Aus Westafrika"、2巻、Leipzig 1879)などを発表した。1879年にハンブルクの商社の援助を受けて、西アフリカのガボン(リーブルビル)に行き、コーヒー農園を設立した。 1885年にドイツに戻り、ベルリンでドイツ植民クラブ(Deutschen Kolonialverein、後にドイツ植民協会に統合される)で働き、"Deutsche Arbeit in Afrika" (Leipzig 1888)を出版した。
1888年からブラジルへの移民事業にかかわり、リオグランデ・ド・スル州で働き、ポルト・アレグレに住んだ。