ヘンリー・T・メイヨー Henry Thomas Mayo | |
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生誕 |
1856年12月8日 バーモント州 バーリントン |
死没 |
1937年2月23日(80歳没) ニューハンプシャー州 ポーツマス |
所属組織 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 1876 -1921 |
最終階級 | 海軍大将 |
指揮 | 大西洋艦隊司令官 |
戦闘 |
米西戦争 バナナ戦争 第一次世界大戦 |
ヘンリー・トーマス・メイヨー (Henry Thomas Mayo, 1856年12月8日 - 1937年2月23日) は、アメリカ合衆国の海軍軍人、海軍大将。
メイヨーは1856年12月8日にバーモント州バーリントンで生まれる。1876年に海軍兵学校を卒業すると、その後は沿岸調査を含む様々な任務を経験した。米西戦争の期間には北米の西海岸において砲艦ベニントン (USS Bennington, PG-4) で勤務した。1913年に海軍少将に昇進し、1914年4月9日のタンピコ事件では艦隊の指揮を行った。ウエルタ将軍に対する彼の公式謝罪要求は、メキシコとの緊張関係をさらに強調した。
1915年6月に海軍中将に昇進すると、大西洋艦隊司令官に着任する。1916年6月19日に彼は海軍大将に昇進した。戦時におけるアメリカおよびヨーロッパ水域でのアメリカ海軍を指揮、支援した功績により、彼は海軍殊勲章および様々な外国からの勲章を受章した。彼はまた、戦後は艦隊における航空機の活用に先見の明があった。
メイヨー提督は1921年2月28日に退役し、その後4年に渡ってフィラデルフィア海軍救護院の院長を務めた。メイヨーは退役後も、1930年の下院法案によってその階級を保持し続けた。彼は1937年2月23日にニューハンプシャー州ポーツマスで死去した。