ベッシー・マクニコル Bessie MacNicol | |
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生誕 |
1867年7月15日 スコットランド,グラスゴー |
死没 |
1904年6月4日 スコットランド,グラスゴー |
運動・動向 | グラスゴー・ガールズ |
ベッシー・マクニコル(Elizabeth "Bessie" MacNicol、1867年7月15日 - 1904年6月4日)はスコットランドのポスト印象派の画家である。グラスゴーが拠点の女性画家たちの集まり、「グラスゴー・ガールズ」を代表する画家となったが、10年ほどの活動の後、37歳で没した。
グラスゴーで生まれた。父親は教師であった。1887年から1892年までグラスゴー美術学校で学んだ。美術学校の校長に認められて留学を勧められ、パリに渡り、私立の美術学校、アカデミー・コラロッシで学んだ。1893年にイギリスの王立美術院の展覧会に初めて出展した。留学を終えて、グラスゴーに戻り、1895年に王立グラスゴー美術協会(Royal Glasgow Institute of the Fine Arts)の展覧会に留学中の作品を出展した。1896年にスタジオを購入した。また「グラスゴー・ボーイズ」と呼ばれた芸術家が集まっていた場所のひとつ、スコットランド西部のカークブリ(Kirkcudbright)でも過ごした。カークブリで暮らす画家のエドワード・ホーネル(Edward Atkinson Hornel:1864–1933)の肖像画を1896年に描いた。1899年に元画家志望の医師、アレクサンダー・フリューと結婚した。グラスゴーの大きなスタジオのある家に住み、制作を行い、1901年にヌード画の大作「Vanity」はミュンヘンの展覧会に出展された。10年ほど、画家として活躍した後1904年に没した。、