Benny Sapp | |||||||||||||
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ドルフィンズ時代のサップ(2011年) | |||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||
ポジション | コーナーバック | ||||||||||||
生年月日 | 1981年1月20日(43歳) | ||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州フォートローダーデール | ||||||||||||
身長: | 5' 9" =約175.3cm | ||||||||||||
体重: | 175 lb =約79.4kg | ||||||||||||
経歴 | |||||||||||||
大学 | 北アイオワ大学 | ||||||||||||
ドラフト外 | 2004年 | ||||||||||||
初出場年 | 2004年 | ||||||||||||
初出場チーム | カンザスシティ・チーフス | ||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||||
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Player stats at PFR |
ベニー・サップ(Benny Sapp 1981年1月20日- )はフロリダ州フォートローダーデール出身の元アメリカンフットボール選手。現役時代のポジションはコーナーバック。
4歳になる直前に父親が殺害された[1]。高校時代はアサンテ・サミュエルとチームメートだった[2][3]。フロリダ州内の大学からのオファーもあったが、彼はアイオワ大学を進学先に選んだ[1]。
アイオワ大学で2年間、24試合に出場し104タックル、3インターセプトをあげたが、度重なる警察沙汰を起こしたことから2002年にチームを追われ[1]、その後北アイオワ大学で2年間に24試合に出場し78タックル、6インターセプト、29パスディフレクト、4ファンブルフォースの成績を残した。
2004年、ドラフト外フリーエージェントでカンザスシティ・チーフスと契約を結び[3]、1年目はスペシャルチーム、ニッケルバックとして起用され15タックル、1インターセプトをあげた[1]。
チーフスには2007年まで所属、シーズン終了後フリーエージェントとなった[4]。
2008年、ミネソタ・バイキングスと契約を結んだ。この年チャールズ・ゴードンが負傷して離脱した後、ニッケルバックとして起用され[3]、22タックル、2インターセプトをあげた。
2009年3月3日、チームと1年間の再契約を結び、2010年3月9日には2年間の再契約を結んだ。
2010年8月25日、マイアミ・ドルフィンズのグレッグ・カマリロとトレードされた[2]。この年、主にニッケル隊形で起用され2インターセプト、10パスディフレクトをあげた。
2011年、9月12日のニューイングランド・ペイトリオッツとのマンデーナイトフットボールで、第4Qに敵陣1ヤード地点からの守備で、トム・ブレイディからパスを受けたウェス・ウェルカーへのタックルで足をすべらせミス、99ヤードのTDレシーブを許した[5]。翌日ドルフィンズから解雇された[6]。同年11月、アントワン・ウィンフィールドがシーズン絶望となったことから、古巣のバイキングスと1年契約を結んだ[7]。
チーフス時代のヘッドコーチ、ハーマン・エドワーズからはコーナーバックタイプというより、セイフティタイプであると見られていた[4]。
彼の息子のベニー・サップ3世もNFL入りしており、2023年にグリーンベイ・パッカーズで5試合に出場した。2024年12月にアトランタ・ファルコンズとプラクティススクワッド契約を結んだ。