ベヘリット

ベヘリット
Beherit
出身地  フィンランド
ラッピ州 ロヴァニエミ
ジャンル ブラックメタル
ダークアンビエント
活動期間 1989年1996年2008年
レーベル スパインファーム・レコード
カルト
公式サイト Beherit Spinefarm Records(アーカイブ)
メンバー ニュークリア・ホロコースト・ヴェンジェンス (ヴォーカルリードギターキーボードプログラミング)
エンシェント・コープス・ディシクレイター (ギター)
アビス、ツイステッド・バプタイザー (ベース)
ソドマティック・スローター (ドラムス)
旧メンバー デーモン・フォルニケイション (ベース)
ブラック・ジーザス (ベース)
ゴートゴッデス・オヴ・ネクロソドミー (キーボード)
ネクロパーヴァーサー (ドラムス)
キモ・ルッティネン (ドラムス)

ベヘリット(Beherit) は、1989年フィンランドで結成されたブラックメタルバンド想像しうる内で最も原始的で、残忍、かつ地獄に取り付かれたようなブラックメタルをプレイするために結成された[1]。バンド名はシリア語サタンを意味する。サウンドはもちろんのこと、ライブパフォーマンスからヴィジュアル的なイメージも含めてアンダーグラウンドを徹底した音楽性にもかかわらず、カルト的な人気を誇った[1]。非常に凶悪なサウンドで知られる一方、前衛的な音楽性を持つという面でも有名である[2]。そのことから、現在彼らはブラックメタル界におけるパイオニアの一バンドであると考えられている[3]

略歴

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1989年、ニュークリア・ホロコースト・ヴェンジェンス、ソドマティック・スローター、デーモン・フォルニケイションの三人によって結成される。翌年には三本のデモをリリース[4]。豚の頭部やヤギを使ったライブパフォーマンスで徐々に認知度を集めていった[5]

1991年、デモ音源を集めたアルバム『The Oath of Black Blood』がバンドの許可なしにリリースされる[6]。これはバンドレコーディングのための費用をすべて酒を飲むのに使ってしまったため、仕方なくリリースしたものだとレーベル側は主張している[7]。この件に対してリーダーのニュークリア・ホロコースト・ヴェンジェンスはメタル・ハンマー・マガジンのインタビューで次のようにコメントしている。 「あのアルバムはゴミだ!本当にひどい代物だから俺たちは絶対にリリースしたくなかったんだ。ターボ・ミュージックは曲を『Demonomancy』からそのまま持ってきて、アルバムを出すのにただのカセットを使ったのさ。正直に言わせてもらうと、奴らにマスターテープを送ったことなんてないね…。すぐにちゃんとしたLPを出そうと思ってる。今度はちゃんと俺たち自身のレーベルで、だ。結果ははるかにマシになるだろうよ[8]。」

1993年、アルバム『Drawing Down the Moon』をリリースする[9]。アンダーグラウンドシーンでかなりの評価を得る。

1994年、バンドは解散。しかし、ニュークリア・ホロコースト・ヴェンジェンスは二枚のダークアンビエントアルバムをレコーディングし、ベヘリットの名でリリースする。

2008年、オリジナルメンバーであるニュークリア・ホロコースト・ヴェンジェンスと ソドマティック・スローターが新たなメンバー二人を迎えてベヘリットを再結成する。

2009年、4thアルバム『Engram』をリリース[10]

メンバー

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現在のメンバー

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元メンバー

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  • デーモン・フォルニケイション (Daemon Fornication) - ベース (1989–1993)
  • ブラック・ジーザス (Black Jesus) - ベース (1993)
  • ゴートゴッデス・オヴ・ネクロソドミー (GoatGoddess of Necrosodomy) - キーボード
  • ネクロパーヴァーサー (Necroperversor) - ドラムス (1993)
  • キモ・ルッティネン (Kimmo Luttinen) - ドラムス

ノルウェーシーンとの抗争

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1990年代初頭のブラックメタルバンドは大多数がノルウェー出身であった。しかし、ベヘリットやインペイルド・ナザリーンBarathrumといったバンドの影響でフィンランドブラックメタルシーンも徐々に認知されていった。だが、だんだんとフィンランドノルウェーのシーンの間でダーク・ウォーと呼ばれる抗争が勃発することになる。ある雑誌によれば、この抗争の原因は誤解やジョークだったという。しかし、インペイルド・ナザリーンのヴォーカリストMika Luttinenはノルウェーから彼の殺害を示唆する脅迫状が送られてきたと主張している。また、インペイルド・ナザリーンの1stアルバムには「ノルウェーからの注文は受け付けません」との声明が掲載されている。後にMika Luttinenは声明の掲載が愚かであり、幼稚であったと認めている[7]

ディスコグラフィー

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スタジオアルバム

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アルバム名はウイッカの伝統的な儀式の名前からとられている。

コンピレーション

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  • 1991年 The Oath of Black Blood
  • 1999年 Beast of Beherit - Complete Worxxx

脚注

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  1. ^ a b Rivadavia, Eduardo. “Beherit - Biography”. Allmusic. 2007年1月28日閲覧。
  2. ^ Grow, Kory. “Back in black blood”. Decibel magazine. 2007年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月28日閲覧。
  3. ^ Beherit”. BNR Metal. 2006年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月29日閲覧。
  4. ^ Sharpe-Young, Garry. “Beherit - Biography”. MusicMight. 2012年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月28日閲覧。
  5. ^ Beherit”. Discogs. 2006年12月13日閲覧。
  6. ^ The Oath of Black Blood”. Allmusic. 2007年1月29日閲覧。
  7. ^ a b Mattila, Mikko; Sarna, Janne (1995). “The End of a Legend - Isten smokes Holocaust Vengeance out of Beherit”. Isten 6: 44–45. 
  8. ^ Müller, Robert (1992). “Beherit - In Fear of a Black Metal Planet”. Metal Hammer - Thrash (1). 
  9. ^ Drawing Down the Moon”. Allmusic. 2007年1月28日閲覧。
  10. ^ Prozak, Vijay. “Beherit - Interview”. Dark Legions Archive. 2009年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月28日閲覧。

外部サイト

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