正式名称 | Belgrano Athletic Club | ||
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ユニオン | ブエノスアイレスラグビー協会 (URBA) | ||
愛称 | Marrón (茶色) | ||
創設年 | 1896年 | ||
本拠地 | ブエノスアイレス | ||
グラウンド | Virrey del Pino | ||
収容人数 | - | ||
所属リーグ | トルネオ・デ・ラ・URBA | ||
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公式サイト | |||
belgranoathletic |
ベルグラーノ・アトレティック・クルブ(西: Belgrano Athletic Club)は、アルゼンチンのブエノスアイレス・ベルグラーノ地区を拠点とするスポーツクラブ。ラグビーチームが特に有名である。トルネオ・デ・ラ・URBAに所属。
1896年創設のアルゼンチンに現存する最も歴史のあるスポーツクラブの1つである。
1899年には、ブエノス・アイレスFC、ローマスAC、CAロサリオなどと共に、現在のアルゼンチンラグビー協会(UAR)の前身となるリバープレートラグビー協会(River Plate Rugby Union)を設立した[1]。同年に創設されたリバープレートラグビー協会選手権(トルネオ・デ・ラ・URBAの前身)には初年度から参加している。
トルネオ・デ・ラ・URBAの優勝回数は歴代4位タイの11回[注 1]。2016年には48年ぶりにタイトルを獲得した。
1896年8月17日にクラブ創設。当初のメンバーは、アルゼンチン中央鉄道(Ferrocarril Central Argentino)の従業員を中心に構成されており、ベルグラーノを通過する鉄道の色から、赤色・銀色・緑色のユニフォームが採用された。1919年に、新しい鉄道の色に合わせて茶色・金色に変更された[5]。この配色は現在まで受け継がれている。
1907年のトルネオ・デ・ラ・URBAで初のタイトルを獲得した。1910年代後半にCAサン・イシドロ(CASI)が台頭してくるまでは、リーグ創設メンバーでもあるブエノス・アイレスFC、ローマスAC、ベルグラーノAC、CAロサリオの4クラブでトルネオ・デ・ラ・URBAのタイトルをほぼ独占した。
1968年に10回目のトルネオ・デ・ラ・URBA優勝を遂げて以降はタイトルから遠ざかっていた。
2016年、ベルグラーノACは48年ぶりにトルネオ・デ・ラ・URBAを制した。レギュラーシーズンをインドゥに次ぐ2位で終えると、決勝トーナメントではインドゥにリベンジを果たした[6]。
2019年にもトルネオ・デ・ラ・URBAで決勝進出を果たし(SICに敗れ準優勝)、古豪復活を印象づけている。
ベルグラーノACのサッカーチームは、ローマスAC、アルムニACと共に、アルゼンチンサッカー草創期において最も重要なクラブの1つであった。プリメーラ・ディビシオンが公式に創設された1893年から1911年までの19シーズンは、この3クラブでリーグ優勝を独占した[注 2]。
ベルグラーノACは1896年から1916年までの間、プリメーラ・ディビシオンでプレーした。この間、リーグを3回制した他に、当時の重要な大会であったウルグアイのクラブチームとの国際カップ戦のタイトルを2回獲得した。1912年8月18日には、プリメーラ・ディビシオンの試合でCAリーベル・プレートを相手に10-1という歴史的な勝利を収めた[7]。
1916年、プリメーラ・ディビシオンからの降格が決定したことを受け、ベルグラーノACのサッカーチームは活動を終了した。