ペドロ・ロメロ | |
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ゴヤによる『闘牛士ペドロ・ロメロの肖像』 | |
生誕 |
Pedro Romero Martínez 1754年11月19日 ロンダ |
死没 | 1839年2月20日 |
国籍 | スペイン |
職業 | 闘牛士 |
ペドロ・ロメロ・マルティネス(スペイン語: Pedro Romero Martínez, 1754年11月19日 - 1839年2月10日)は、スペイン・ロンダ出身の闘牛士。
祖父のフランシスコ・ロメロは、乗馬せずにムレータ(赤い布)を用いて闘牛を翻弄する芸術的な闘牛を発展させた人物である。ペドロ・ロメロの父親と2人の兄弟もやはり闘牛士だった。1772年には若くしてアルヘシラスとセビリアでの闘牛に参加し、1775年には父親やホアキン・ロドリゲス(コスティリャーレス)とともにマドリードでの闘牛に参加した。1776年には285頭の闘牛にとどめを刺し、名声を確固たるものとした。1799年に引退するまでに、いちども重傷を負うことはなく、5,558頭の闘牛を相手にしたとされている[1]。
闘牛士としての生活を終えた後、ペドロ・ロメロはセビリアの闘牛学校の校長に就任した[2]。この闘牛学校は1830年から1832年までしか開校しなかったが、学生に対して多くの知識を与え[2]、ここで近代闘牛の様式を確立した[3]。
1795年から1798年には、画家のフランシスコ・デ・ゴヤが連作『闘牛士ペドロ・ロメロの肖像』を製作しており、現在ではアメリカ合衆国のキンベル美術館に所蔵されている。アメリカ人小説家アーネスト・ヘミングウェイの『日はまた昇る』には、若くて美しくとても芸術的な闘牛士「ペドロ・ロメロ」が登場するが、ペドロ・ロメロ・マルティネスがモチーフになったと考えられている。