ペーローズドゥフト(Perozdukht または Perozduxt)は5世紀末のサーサーン朝の王女。484年に父親のペーローズ1世(在位:459年 - 484年)がエフタルの支配者であるアフシュンワール(英語版)の軍隊に敗れて戦死した際に捕らえられた[1]。その後、ペーローズドゥフトはエフタルの宮廷に入り、エフタル王の娘を産んだ。この娘は後にペーローズ1世の息子であるカワード1世(在位:488年 - 496年、498/9年 - 531年)に嫁いだ[2][3]。