ホレス・シルヴァー Horace Silver | |
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ホレス・シルヴァー(1989年) | |
基本情報 | |
出生名 | Horace Ward Martin Tavares Silva[1] |
生誕 | 1928年9月2日 |
出身地 | アメリカ合衆国 コネチカット州ノーウォーク |
死没 | 2014年6月18日(85歳没) |
ジャンル |
ポスト・バップ モード・ジャズ メインストリーム・ジャズ ソウル・ジャズ ハード・バップ |
職業 |
ピアニスト 作曲家 バンドリーダー |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1946年 - 2004年 |
共同作業者 |
ホレス・シルヴァー・クインテット ホレス・シルヴァー・トリオ アート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ |
公式サイト |
www |
ホレス・シルヴァー(Horace Silver、本名:Horace Ward Martin Tavares Silva、1928年9月2日 - 2014年6月18日)は、コネチカット州ノーウォーク出身のジャズ・ピアニストである。ジャンルはファンキー・ジャズ、ソウル・ジャズ、ハード・バップなどだった。ファンキーかつソウルフルなプレイスタイルで知られた。
彼の音楽性はブルース、ソウル/R&B、ゴスペル音楽、アフリカ音楽など幅広い音楽に影響されていた。
アフリカ系ポルトガル人であるカーボベルデ人の父にアイルランド人とアフリカ系の混血の母を持つカーボベルデ系アメリカ人の出身である。幼少期からピアノを始め、クラシック音楽も学んだ。シルヴァーの父親は、息子にカーボベルデの音楽を教えた。[2]
初期はサックス奏者であったが、後にピアノに切り替えた。バド・パウエル[3]に強く影響を受けた。コネチカット州ハートフォードのクラブでスタン・ゲッツと出会う。ニューヨークに移りアート・ブレイキーと組む。1952年と1953年に自己のトリオにブレイキーなどを加えたセッションを録音する。ブレイキーとの共演は4年間も続き、この間に名トランペッター、クリフォード・ブラウン[4]を含めたカルテットでアルバム『バードランドの夜』をバードランドにて録音。油井正一は、シルヴァーの曲「シスター・セイディ」を、アーメン・ナンバーと形容した。
1956年にはブレイキーから離れ、自己のハード・バップ・クインテットを作る。ブルーノート・レコードに『ソング・フォー・マイ・ファーザー』(1964)など多くのアルバムを残す。この時代に日本への印象を描いたアルバム『ザ・トーキョー・ブルース』を発表している。
1970年代後半にブルーノートは活動を休止する。シルヴァーは自分の音楽性を他レーベルに理解してもらえなかったために、1981年に短期間であったが自己レーベル、シルヴェートを作った。1990年代に入り、トミー・リピューマにより再興されたインパルス!レコードに移籍、マイケル・ブレッカーやランディ・ブレッカー[5]、ロン・カーターらと共演している。
2014年6月18日、アメリカ、ニューヨーク州ニューロシェルの自宅にて死去[6]。85歳没。