ボビー・フィッシュ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ボビー・フィッシュ ジャーク・ジャクソン メイデン・フィッシャー |
本名 | ロバート・アンソニー・フィッシュ |
ニックネーム |
殺人闘魚 リングの大物釣り |
身長 | 180cm[1] |
体重 | 91kg[1] |
誕生日 | 1976年10月27日(48歳)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州オールバニ |
所属 | MLW |
スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
トレーナー |
トニー・デヴィート ハーリー・レイス 小橋建太 |
デビュー | 2002年[1] |
ボビー・フィッシュ(英語: Bobby Fish、1976年10月27日 - )は、アメリカ合衆国男性プロレスラー。ニューヨーク州オールバニ出身。MLW所属。
学生時代は、アメリカンフットボール選手として活躍。大学卒業後、ECWに入団し、トニー・デヴィートに師事。2002年にプロレスデビューを果たした。ジャーク・ジャクソン(Jerk Jackson)やメイデン・フィッシャー(Madden Fisher)のリングネームで活動し、その後、WLW、ROH、NWAアップステートに参戦[2]。
2005年9月に行われたWLW・ノア合同レスリング・キャンプで、小橋建太の目に留まり、ノアへの参戦が決定。翌2006年5月に初来日し、ノアのツアーに参戦した。以降、2012年までノアの常連外国人選手として定期的に参戦を継続[2]。
2010年2月、GHCジュニアヘビー級タッグ王座決定トーナメントにエディ・エドワーズと組んで出場するも、1回戦でリッキー・マルビン & 石森太二組に敗れる[2]。
2011年の第2回グローバル・リーグ戦では、同リーグが無差別級リーグとなったことから、ジュニアヘビー級選手の一人として参戦。マイバッハ谷口や齋藤彰俊から勝利を奪うなど、優勝戦線にこそ食い込まなかったが、周囲の予想以上の活躍であった[3]。
2012年の日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦にはエドワーズと組んで初出場。初戦から優勝候補に勝利するなど好調ぶりを見せていたが、リーグ戦最終戦で敗戦。決勝進出まであと一歩及ばなかったが、敢闘賞を獲得した[4]。
同年から再びROHに参戦[5]。2013年3月2日にはPPVである11th Anniversary Showにてカイル・オライリーとのタッグチーム「reDRagon(レッドラゴン)」でROH世界タッグ王座を獲得した[6]。
2014年8月10日の西武ドーム大会より新日本プロレスに参戦。11月8日のBODYMAKERコロシアム大会にてカイル・オライリーとのコンビでIWGPジュニアタッグ王座を獲得。
11月18日、Takeover: War Gamesにてアダム・コール & カイル・オライリーと組んでオーサーズ・オブ・ペイン(アカム & レーザー) & ロデリック・ストロング、サニティー(アレクサンダー・ウルフ & エリック・ヤング & キリアン・デイン)とWCWで行われた金網に囲まれたリング2面で5分事にメンバーが追加される特殊ルールのウォー・ゲームで対戦。各レスラーが暴れまわる中、サニティー追加後には竹刀、スティールチェアー、スティールカンを投入してさらに混沌と化す。終盤にヤングがストロングにショーストッパーを仕掛けた隙を突いてコールが竹刀でヤングを殴打。そして最後にスティールチェアーを持ったヤングにシャイニング・ウィザードを決めて勝利した[7]。同月29日、NXTの収録にてNXTタッグ王座を保持するサニティーにオライリーと組んで挑戦。セコンドに就いていたコールの助力を仰いで勝負を制し、王座を戴冠した[8]。
マーシャルアーツ(軍用格闘術)やブラジリアン柔術、キックボクシング、総合格闘技など幅広い格闘経験を有し、プロレスの試合でもそれらの格闘技色の強いファイトスタイルに、瞬発力を生かした空中殺法をミックスした戦いを得意とする。特に独特の間合いから放たれるキック攻撃には定評がある[2]。