人物情報 | |
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生誕 |
1908年12月18日![]() |
死没 |
1977年7月12日 (68歳没)![]() |
出身校 | ソビエト連邦科学アカデミー歴史学研究所 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学 |
研究機関 | ソビエト連邦科学アカデミー東洋学研究所 |
ボボジャン・ガフーロヴィチ・ガフーロフ(英語: Bobojon Ghafurovich Ghafurov、タジク語: Бобоҷон Ғафуров、ペルシア語: باباجان غفورف、ロシア語: Бободжан Гафурович Гафуров、1908年12月18日 - 1977年) は、タジキスタンの歴史家、研究者である。ガフーロフはロシア語とタジク語で「タジキスタンの歴史」や「タジク人」といった複数の書籍を出版している。
1908年、ホジェンド付近にある村で生まれた。1928年から1929年にかけてサマルカンドに留学し、サドリディン・アイニーとガフル・グリャムの(Gʻafur Gʻulom)に師事した。その後モスクワに移って、1935年にソ連邦ジャーナリズム研究所(Всесоюзный институт журналистики)を卒業した。1941年にモスクワの歴史研究所に所属し、1949年に学位論文『イスマーイール派の歴史』を提出してソビエト連邦科学アカデミーから博士号を取得した[1]。
政治家としては、1941年から1944年までタジキスタン共産党でプロパガンダ担当、1944年から1946年まで第二書記、1946年8月から1956年5月24日まで第一書記を務めた[1][2]。1956年から亡くなるまで、ガフーロフはソビエト連邦科学アカデミー東洋学研究所の主任、及びアジア・アフリカジャーナルの編集者を務めた[1]。