^本作に収録された2曲のスタジオ録音曲にはいずれもヴァン・ヴリートが参加しており、彼は「200イヤーズ・オール」でリード・ボーカルとバッキング・ボーカル、「クカモンガ」でハーモニカを担当した。アルバムには「スタジオ録音は1974年1月と2月に行なわれた」旨が記されたが、バンクーバー在住のザッパ愛好家であるチャールズ・ウルリッヒは著書"The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa" (ISBN: 978-1-55420-146-4) の41ページで「スタジオ録音は1974年ではなく1975年に行なわれた」と指摘している。ザッパとヴァン・ヴリートの関係は、1969年にザッパがプロデュースしたキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドのサード・アルバム『トラウト・マスク・レプリカ』を巡って少しずつ険悪化して、2人は1970年代にはすっかり疎遠になっていた。また、ヴァン・ヴリートは1974年初頭にはキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドの新作を制作していた。これらのことから、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが活動を停止した1974年11月の後、ヴァン・ヴリートがザッパと共同活動することに合意して本作のスタジオ録音に参加したと仮定すると、ウルリッヒの指摘が正しい可能性がある。あるいは、ザッパ達だけで1974年初めに録音した未発表音源に、ヴァン・ヴリートが1974年の末か1975年にボーカルやハーモニカを重ねた可能性もあろう。
^ザッパとヴァン・ヴリートはカリフォルニア州ランカスターのAntelope Valley High Schoolの同級生。R&Bのレコード鑑賞を通じて親交を深め、やがてザッパがギター、ヴァン・ヴリートがボーカルを担当して録音するようになった。1964年、ヴァン・ヴリートはザッパが製作していたSF映画の主人公の名前を自分のステージ名にした。1968年、ザッパは、ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドを自分が同年に設立したストレイト・レコードに招き、『トラウト・マスク・レプリカ』(1969年)のプロデューサーを務めた。1958年から1964年までに2人が録音した音源の幾つかは、ザッパの未発表音源集『ロスト・エピソード』(1996年)と『ミステリー・ディスク』(1998年)に収録された。