ポール・リットン

ポール・リットン
Paul Lytton
ポール・リットン(2016年)
基本情報
生誕 (1947-03-08) 1947年3月8日(77歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 パーカッション
活動期間 1969年 -
共同作業者 エヴァン・パーカー
ヴァイカースハイムの「Club W71」にて(2011年)

ポール・リットンPaul Lytton1947年3月8日 - )は、イングランドフリー・ジャズ・パーカッショニストである。ロンドン生まれ。

来歴

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リットンは16歳でドラムを始めた。1960年代後半よりロンドンでジャズを演奏し、P・R・デサイからタブラのレッスンを受けた。1969年、彼はサックス奏者のエヴァン・パーカーとデュオで演奏するようになり、フリー・インプロヴィゼーションによる音楽の実験を開始した。ベーシストのバリー・ガイを加えた後、アンサンブルはエヴァン・パーカー・トリオとなった。パーカーとは2000年代まで一緒に働き続けることとなる。最近のリリースには、1996年(アルバム『Natives and Aliens』)および1999年(アルバム『After Appleby』)のマリリン・クリスペルとのトリオでのリリースがある。

ロンドン・ミュージシャンズ・コレクティヴ (London Musicians Collective)の創設メンバーであるリットンは、1970年代にロンドンのフリー・インプロヴィゼーション・シーンで幅広く活動し、1976年にアーヘンのミュージシャン協同組合を設立し、パウル・ローフェンスを支援した。

リットンは、ソロと即興アンサンブルの両方で北米と日本をツアーした。1999年、彼はケン・ヴァンダーマークとケント・ケスラーとツアーを行い、アルバム『English Suites』でヴァンダーマークとレコーディングした。また、リットンはジェフリー・モーガン(アルト&テナー・サクソフォーン)と協力し、ドイツのケルンでライブをアルバム『Terra Incognita』として録音した。

彼はまた、1969年にホワイト・ノイズの先駆的なエレクトロニック・ポップ・ミュージック・アルバム『エレクトリック・ストーム』で演奏した。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • The Balance of Trade (1996年、CIMP)[1]

参加アルバム

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Barry Guy/The London Jazz Composers' Orchestra

  • Ode (1972年、Incus)

ロスコー・ミッチェル

ケルンの「Stadtgarten」にて(2012年)
  • Composition/Improvisation Nos. 1, 2 & 3 (2004年、ECM)

エヴァン・パーカー

  • 50th Birthday Concert (1994年、Leo)
  • The Redwood Session (1995年、CIMP)
  • Toward the Margins (1996年、ECM)
  • Drawn Inward (1998年、ECM)
  • Memory/Vision (2002年、ECM)
  • Boustrophedon (2004年、ECM)
  • The Moment's Energy (2007年、ECM)

近藤等則、パウル・ローフェンス、ポール・リットン

  • 『死は永遠の友達』 - Death Is Our Eternal Friend (1983年、DIW)

脚注

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  1. ^ Cook, Richard; Morton, Brian (2008). The Penguin Guide to Jazz Recordings (9th ed.). Penguin. p. 919. ISBN 978-0-141-03401-0 

外部リンク

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