マイク・クラック Mike Krack | |
---|---|
生誕 |
1972年3月18日(52歳) ルクセンブルク |
国籍 | ルクセンブルク |
職業 | 自動車技術者(モータースポーツ) |
著名な実績 |
・アストンマーティンF1 チーム代表 (2022年 - ) ・BMWモータースポーツ部門責任者 |
マイク・クラック(Mike Krack、1972年3月18日[1] - )は、ルクセンブルク出身の自動車技術者、モータースポーツマネージャーである。
父親はボルボのディーラーを営んでおり、週末はミニでレースをするという人物で[W 1]、クラックはレースが身近な環境で育った。幼い頃、隣国のドイツで開催された自動車レースを観戦したことが、クラックがレースの世界を目指す直接のきっかけとなった[W 1]。
2001年初頭にザウバーに引き抜かれ、この時からフォーミュラ1(F1)の世界に入った[1]。加入当初はデータエンジニア(データアナリスト)として働き、2003年から2005年にかけてフェリペ・マッサのレースエンジニアを務めた[1][W 2][注釈 1]。
2006年にザウバーはBMWに買収されたことでBMWザウバーとなり、この時にクラックはチーフエンジニアに昇格した[W 2]。
2008年シーズンの前半に同チームのロバート・クビサが活躍し、6月の第7戦カナダGP終了時点でクビサはポイントランキングトップに立った。全18戦の折り返しとなる第9戦イギリスGP終了時点でも、首位となったルイス・ハミルトンとは2ポイント差とドライバーズタイトルを狙える立場だった。しかし、BMW本社はハミルトンに勢いがあり、クビサがチャンピオンを獲れるかわからない2008年にリソースを割くよりも、大きく変更され新規定となる2009年用車両の開発に注力したほうがよいと判断。結果としてチームはここから失速し成績が下降した(クビサの最終ランキングは3位タイで終了)。これに失望したクラックは、シーズン終了後の2009年1月にチームを去った[1][W 2]。その後、コリン・コレスのフォーミュラ3チームでエンジニアとして過ごし、2010年10月にDTM部門のチーフエンジニアとしてBMWに復帰した[1][W 2]。
2012年末にポルシェに移籍し、FIA 世界耐久選手権(WEC)のトラックサイドエンジニアリングの責任者を務めた[1]。この時、アンドレアス・ザイドル(後のマクラーレンチーム代表)とともに働いた[1][W 3]。
2014年にBMWに再復帰し、シニアパフォーマンスエンジニアとして、同社のフォーミュラEやIMSA、GTカーのプロジェクトに携わった[1]。その後、2018年にBMWのモータースポーツ部門の責任者となった[1]。
アストンマーティンの首脳であるローレンス・ストロールとマーティン・ウィットマーシュがクラックに興味を持ったのは、それ以前のF1のキャリアではなく、この時期の、ポルシェとBMWにおける手腕によるものだと言われている[W 4]。
2021年末にそれまでF1のアストンマーティンチームでチーム代表を務めていたオトマー・サフナウアーが離脱することになり、その後任としてクラックに白羽の矢が立った[1]。F1に復帰したいという願望を持っていたクラックはこの話を引き受け、2022年3月に同チームのチーム代表に就任した[1]。
クラックの就任により、当時のF1では、ザイドル(マクラーレン)、ヨースト・カピート(ウィリアムズ)に次いで、エンジニア出身で、かつドイツ系メーカー(フォルクスワーゲン・グループ)で他のカテゴリーの経験がある、という似た経歴を持つ3名の人物がチーム代表を務めることになった[1][W 5]。