マイク・ハウレット Mike Howlett | |
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スティーヴ・ヒレッジ・バンドでのマイク・ハウレット(一番右・2009年) | |
基本情報 | |
出生名 | Michael John Gilmour Howlett |
別名 | Mister T. Being |
生誕 | 1950年4月27日(74歳) |
出身地 | フィジー ラウトカ |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック ニュー・ウェイヴ |
職業 |
ミュージシャン 音楽プロデューサー |
担当楽器 | ベース |
共同作業者 |
ジ・アフェア ゴング ストロンチウム90 |
マイク・ハウレット(Mike Howlett、1950年4月27日 - )は、イギリスとオーストラリアを拠点に活動するフィジー出身のミュージシャン、グラミー賞受賞・音楽プロデューサー、教師である。
1960年代後半、ハウレットはシドニーのポップ・バンド「ジ・アフェア」のベーシストとなった。バンドにはボーカリストのケリー・ビデルもいた。グループは「Hoadley's Battle of the Sounds」バンド・コンペティションにて賞を獲得した後、イングランドをツアーした。ハウレットはロンドンに定住し、1973年にオーストラリアの国外移住者、デヴィッド・アレンによって結成された著名な英国のプログレッシブ・ロック・グループのゴングに加入した。1977年までゴングと一緒に活動し、彼らと何枚ものアルバムを録音し、この期間の後期にはドラマーのピエール・ムーランと彼らの楽曲の多くを共同で作曲した。
ゴングを脱退した後、ハウレットは短命であったスティング、スチュワート・コープランド、アンディ・サマーズからなるバンド、ストロンチウム90を結成した[1]。ハウレットはバンドのリード・ベーシスト、チーフ・ソングライターであることに加え、ライブでのいくつかの曲でリード・ボーカルも担当した。バンドはいくつかのデモを録音し、1977年5月にパリでのゴング再結成コンサートにて演奏したが、サマーズがコープランドとスティングとの新たなプロジェクト、ザ・ポリスに参加するために去ったときに解散となった。ストロンチウム90によるマテリアルのアーカイヴ・コレクションは、アルバム『ポリス・アカデミー』として20年後の1997年にスティングのレーベルPANGÆA RECORDSからリリースされた。
ストロンチウム90の解散から数ヶ月後、ハウレットは1回限りのスタジオ・バンド「The Radio Actors」のベーシストを務めた。これには、リード・ギターにゴングでのバンドメイトのスティーヴ・ヒレッジや、リード・ボーカルにストロンチウム90でのバンドメイトのスティング(ハウレットの推薦でグループに参加)も含まれていた[2]。バンドのシングル「Nuclear Waste」( B面「Digital Love」)は、1995年にライナーノーツと3曲のボーナストラック入りでCDにて再発されたが、ボーナストラックにハウレットは含まれていない。
1980年代、ハウレットは一連の著名なクレジットを持つ、需要の高い音楽プロデューサーとなった。彼はフロック・オブ・シーガルズ(グラミー賞受賞者)、アラーム、チャイナ・クライシス、マーサ・アンド・ザ・マフィンズ、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク、スティーヴン・ダフィー、ギャング・オブ・フォー、コムサット・エンジェルスを含むニュー・ウェイヴ・音楽界をリードする数々のヒット・シングルとアルバムをプロデュースした。また、1985年にはジョーン・アーマトレイディングのアルバム『シークレット・シークレッツ』をプロデュースしている。
ゴングは時として世界各地で再結成ギグを行い、ハウレットはよくそれらに参加している。1993年、シンガーソングライターのRafa Russo、Debbie Cassell、Jay Fisherのアルバムをリリースしたレコードレーベル「Mauve」を立ち上げた。2005年から2009年まで、ハウレットは音楽プロデューサーズ・ギルド (MPG)の会長を務めた[3]。
ハウレットは2009年にレコード・プロデュースに関する博士号を取得し、グラモーガン大学(現サウスウェールズ大学、ウェールズ・ポンティプリッド)、テムズバレー大学(イングランド・イーリング)など、いくつかの大学で音楽技術の講義を行っている[3]。2009年、オーストラリア・ブリスベンにあるクイーンズランド工科大学で音楽学部長に就任[4]。QUTの非常勤教授も務めている。
ハウレットは結婚しており、現在では3人の子供[5]と孫がいる。西ロンドン在住。
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