Mike Bass | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
基本情報 | |||||||||
ポジション | コーナーバック | ||||||||
生年月日 | 1945年3月31日(79歳) | ||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ミシガン州イプシランティ | ||||||||
身長: | 6' 0" =約182.9cm | ||||||||
体重: | 190 lb =約86.2kg | ||||||||
経歴 | |||||||||
大学 | ミシガン大学 | ||||||||
AFL/NFL ドラフト | 1967年 / 12巡目全体314位 | ||||||||
初出場年 | 1967年 | ||||||||
初出場チーム | デトロイト・ライオンズ | ||||||||
所属歴 | |||||||||
| |||||||||
受賞歴・記録 | |||||||||
その他受賞・記録 | |||||||||
レッドスキンズの偉大な70人 | |||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||
| |||||||||
Player stats at PFR |
マイク・バス(Mike Bass 1945年3月31日- )はミシガン州イプシランティ出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブバック。
ミシガン大学からの奨学金のオファーを受けて進学、1965年にはローズボウルで優勝している[1]。
1967年のNFLドラフト12巡目でグリーンベイ・パッカーズに指名されたが解雇され、その年デトロイト・ライオンズでNFLデビューを果たした[1]。2年後の1969年、ヴィンス・ロンバルディがヘッドコーチに就任したワシントン・レッドスキンズに加入、先発コーナーバックのポジションを勝ち取った[1]。1971年にはNFL3位の8インターセプトをあげた[1]。1972年、チームはNFCチャンピオンシップゲームを勝利、レギュラーシーズンを14勝0敗で終えたマイアミ・ドルフィンズと対戦した。第7回スーパーボウルでバスは、第4Qにガロ・イェプレミアンがFGをブロックされた後、パスを投げようとしてファンブルしたボールを拾い49ヤードのリターンTDをあげた[1][2]。1974年、オールNFCに選ばれる活躍を見せた[1]。1976年、怪我のため現役を引退した[1]。
8シーズンで30インターセプト、3TDをあげた。またファンブルリカバーも5回記録している。
現役引退後、バハマに移住、18年間リゾート施設のオーナーをしていた[1]。1997年、フロリダ大学のアカデミックカウンセラーとなった[1]。2002年には自らの経験をもとにコンサルティング組織を設立した[1]。
2002年、レッドスキンズの偉大な70人に選ばれた[1][3]。
1976年にはレッドスキンズの同僚と共にブラックスプロイテーション映画のBrotherhood of Deathに出演した。